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愛知県埋蔵文化財センター  - 公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団

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my weblog : 201412

12/24/2014

豊橋市・キジ山古墳群を歩く(4)

Filed under: - palace @ 10:00 am

◎調査課の永井邦仁です。

キジ山古墳群の立地する丘陵上にはいくつかの巨岩が点在しています。西の豊橋市水道局側から見上げると山腹にみえる巨岩があり、これは古くから屏風岩と呼ばれていました。一方、標高77m の山頂にも巨岩があります。


▲[画像1]キジ山古墳群と山頂巨岩の位置関係

この巨岩、いくつかの岩が周囲を取り囲む中にそびえ立つようにしてあるのです。祭祀遺跡の磐座のようにもみえます。範囲確認調査では、この岩の周辺にもトレンチを設定して地中を調べてみましたが、古墳はなく、遺物も出土しませんでした。ただし、岩の集まりから少し南へ外れたところで、ちょうど石敷に使える大きさの割石が多数詰まった土坑が検出され、そこから須恵器の甕などが出土したのです。


▲[画像2]南西からみた山頂の巨岩


▲[画像3]試掘トレンチで検出された土坑とそこから出土した礫群

出土した甕は7 世紀前半と推定され、キジ山古墳群が増加しつつあったころに相当します。しかし、何のためにわざわざ穴を掘って石や須恵器を埋めたのかは謎のままです。


▲[画像4]西から見た巨岩は巨大な鏡石

さて、立石状の巨岩は西に向かって広い面があり、鏡石のようでもあります。今は雑木林に埋もれていますが、周囲が低木ばかりであれば、かなり遠くからでも見つけることができたのではないでしょうか。


▲[画像5]鏡石の下はテラスになっている

しかも鏡石状の面の手前には、テラス状の平らな面もあります。落ち葉を掃除してみましたが、何も出土しませんでした。少しがっかりしたのですが、図面でもわかるように、巨岩から南西方向の平坦面では古墳が認められていません。さらに詳細に調査すれば検出されるのか、それとも本当にここだけ古墳がないのか、興味がつきない空間です。


12/12/2014

最北の瓦塔をゆく

Filed under: - palace @ 5:23 pm

◎調査課の永井邦仁です。

11月下旬に宮城県加美郡加美町に所在する壇の越遺跡から出土した9世紀後半の瓦塔などを調査するため、同町教育委員会を訪問しました。


▲[画像1]宮城県壇の越遺跡出土の瓦塔(屋蓋部)

壇の越遺跡は、8世紀半ばに施工された方格地割が広がる遺跡です。その一角に9世紀後半につくられた小さな寺院遺構があり、瓦塔はそこを中心に出土しました。(遺跡の概要はこちらから→ 『 壇の越遺跡 -発掘調査の成果-』 宮城県加美町ホームページ > 行政情報 > 文化財 > 刊行物)

屋蓋部の大きさや表現方法などは、関東地域の同じころの瓦塔と同じで、愛知県内でみられる8世紀代の須恵質のものとはかなり違うものです。


▲[画像2]壇の越遺跡からみた東山官衙遺跡

この瓦塔は現在のところ、その分布の最北に位置しています。壇の越遺跡のある大崎平野は宮城県北部に相当し、古代国家が多数の城柵を建設した辺境の地でもあります。壇の越遺跡に隣接する東山官衙遺跡も、陸奥国賀美郡家としてだけでなく、城柵の機能を付加された拠点の1つだったようです。


▲[画像3]史跡東山官衙遺跡の入口(南から)


▲[画像4]東山官衙遺跡からみた大崎平野

ここで興味深いのが、壇の越遺跡の方格地割や東山官衙遺跡の郡家施設が8世紀から9世紀前半に充実しているのに対し、瓦塔や寺院の時期は9世紀後半から10世紀前半だということです。役所的なものが衰退した時期になって寺院が造られる。いったいこの寺と瓦塔の建てたのは誰なのでしょう?最北の瓦塔はまだまだ謎がありそうです。


▲[画像5]隣接する八幡宮境内はイチョウの葉で黄金色でした


12/5/2014

豊橋市・キジ山古墳群を歩く(3)

Filed under: - palace @ 9:10 am

◎調査課の永井邦仁です。

今回はキジ山古墳群のある尾根の南東斜面を登ります。


▲[画像1]キジ山古墳群南東斜面の分布状況図

本調査で極小サイズの横穴式石室が検出されたKJ10A区から北西方向へ真っすぐ斜面を上がっていきます。ここでは、範囲確認調査時の記録からいくつかの古墳を紹介しましょう。


▲[画像2]キジ山8号墳の周溝ライン(白いひもは範囲確認調査のトレンチライン)

これがなんと、キジ山8号墳です。KJ10A区001SZと同じく、一体どこにあるのか?といった感じですが、よくみると周溝部分が凹んでいるのです。この周溝にトレンチを設定し土層を確認しました。墳丘直径は約6mと推定され、これも極小サイズの石室かもしれません。


▲[画像3]キジ山1号墳からみた13号墳と未確認古墳A(新規に確認された古墳)


▲[画像4]キジ山1号墳の石室

ここから上は傾斜が急になってきます。その急斜面を上りきったところに、いくつかの墳丘がみられます。そのうちの1つであるキジ山1号墳では、石室の一部とみられる石が露出しているのがみられました。またそれにともなって中央部分が凹んでいるので、石室の開口方向も推定されます。おそらく南西方向と思われます。


▲[画像5]キジ山13号墳全景(上方の尾根筋から)

キジ山1号墳の西隣には13号墳があります。この古墳は石室石材が地表面でみられず、墳頂を通るようにして大きく断ち割られたような凹みがあります。おそらく石室石材を持ち出す時にこのようになってしまったものと思われます。キジ山古墳群は、吉田城下町だった江戸時代から市街地に近いため、このような石材の持ち出しがなされたらしく、天井石のない事例が発掘調査でも多くみられました。


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