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愛知県埋蔵文化財センター  - 公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団

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6/24/2008

滝町古窯跡 その2

Filed under: - palace @ 11:50 am

調査課 武部です。
その後の調査において、人物の顔がヘラ描きされた窯道具をはじめ特異な資料がいくつか見つかりました。

たきちゃん
画像の資料は径約12.8cm、厚さ1.8cmの円板状のエブタと呼ばれる窯詰の際の窯道具の一種で、平らな面全体いっぱいを使って顔が刻まれています。前で髪を分け、細い眉と目はのびやかな筆致で一気に引き、眼は断面の円い刺突具を用いて表現されています。耳たぶは大きく、幅のあるだんご鼻と少し笑みを浮かべた口元などの表情にどこかユーモラスな印象を受けます。ヘラ描きのある資料は他にも花や家紋状のもの、人名など数種類がみられます。
遺構では窯体の一部(胴木間と第1房あるいは捨間)が確認されました。横室型で縦狭間構造をもつ連房式登窯ですが、滝町古窯跡の事例は小規模である点に特徴がありそうです。

このような資料を精査していく中で、生産技術に瀬戸地域の影響が強く認められること、窯の操業が近世の19世紀前半の時期にも遡ること、経営にはこの地の寺院(滝山寺)が大きく関与した可能性があること、などがわかってきました。

今回の調査成果についての報告会を開催します。(ただし、調査区は公開していません)

詳しくは こちら をご覧ください。


6/10/2008

新しい愛知の古代文化に触れる,考古学講座no.2

Filed under: - palace @ 4:30 pm

愛知県埋蔵文化財センター・中日文化センター共同企画

新しい愛知の古代文化に触れる,考古学講座no.2
「尾張国誕生物語」

講師:愛知県埋蔵文化財センター調査課研究員
開講日:7月第三水曜日 午前10時から12時

詳細は ニュース をご覧ください。


6/3/2008

滝町古窯跡 調査速報その1

Filed under: - palace @ 1:33 pm

◎調査課 武部です。
 5月から岡崎市滝町において、「急傾斜地崩壊対策事業」に伴う事前調査として滝町古窯跡の調査を行っています。遺跡は明治時代に操業していたとされる陶磁器の窯跡であり、以前から周辺では窯道具や窯壁の一部と思われる煉瓦片などが拾われていました。
滝町遺跡上段調査開始
▲上段の調査開始
 調査地点は、頂上が墓地として使われている丘陵の南西側斜面(標高45〜58m)であり、三段に造成されています。遺構は主に中段と下段において確認されており、下段は物原層の厚い堆積層を整地した平場でした。掘削が可能な約2.0mの深さまでのほとんどが匣鉢・ハリ・トチンなど窯道具類であり、製品が極端に少ないのが不思議です。焼損じの失敗品でみると、ここで作られた製品は磁器染付の碗類であり、文様を呉須で筆書きした端反碗や広東碗、蓋碗などの種類がみられます。

滝町遺跡物原
▲物原

滝町遺跡出土遺物1滝町遺跡出土遺物2
▲出土遺物

 中段の平場は窯体が築かれた場所と推定されていますが、現在調査中であり明確な位置は確定していません。窯が廃絶した以降に小規模な建物があったようで、漆喰を貼った床面と石列、明治期から戦前にかけてのガラス薬品瓶や食器類が検出されています。
滝町遺跡作業風景
▲作業中

 ところで、明治5年から10年頃、岡崎では京焼の名家である永楽和全が滞在して作陶を行っています。永楽和全が去ったのち、後を継いだ幾つかの窯も廃業してゆきしばらく途絶えていましたが、明治22年に和全風、永楽風の作品の趣を求めて復興された「甲山焼」(岡崎市六供町)については、窯跡が史跡として残されています。

 今回の調査地点と、この永楽和全との直接の関連性を示す証拠は得られていません。
 ただ、ちょうど同じ明治の初期に、これまで全く窯業と関係がなく、技術も材料もなかった場所で突如として磁器生産が行われたということになります。技術的にどのような由来が考えられるのでしょうか、また、この地がなぜ選ばれたのでしょうか。地域史の中に位置づけられるような成果が得られるよう、期待しつつ調査を進めています。


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