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愛知県埋蔵文化財センター  - 公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団

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my weblog : 201212

12/28/2012

鹿乗川の橋と遺跡をめぐる(11)

Filed under: - palace @ 8:45 am

◎調査課の永井邦仁です。

 寄島遺跡にかかる加美橋から再開した、鹿乗川の橋めぐりもここで越年になりそうです。先回に引き続き、橋は姫下遺跡にかかる姫下橋です。

姫下橋
▲画像1:姫下橋と姫下遺跡

 姫下橋(昭和36年工事)に立ってみましょう。すぐ南東側に旧河道が検出された地点(姫下遺跡05B区・06C区)があります。その向こうには弥生時代後期から古墳時代前期の集落が広がっていたと想像されます。旧河道は、画像左の白い倉庫の手前あたりを通っていたと考えられます。というのも、その付近でもかつて「木」が出土したとの情報があるからです。

旧河道
▲画像02 06C区の旧河道での木製品・自然木出土状況(南から)

「木」が出土するのは、植物質が腐りにくい環境にあったからです。この地点の場合、水分がたくさんある旧河道か井戸の可能性が考えられますが、旧河道が流れる方向として問題ないでしょう。

木製品
▲画像03 旧河道での木製品(建築部材)出土状況

 姫下遺跡では、画像のような建築部材が多数出土しました。また、並列する杭も出土しています。水流を調節する施設なのか、船着き場の桟橋なのか、水流のある川ならではの出土状況がみられました(先回の画像に一部出土した状態が写っています)。
土師器甕
▲画像04 旧河道出土の線刻のある土師器甕

 ところで姫下遺跡では、焼成前の土器表面に線を刻んで、絵を描いたものが出土しています。なかでも人の顔のように見えるものもを「人面文」と呼んでいます。鋭角的な線で描かれた「人面文」はまるで仮面のようです。
人面文
▲画像05 土器集積遺構から出土した「人面文」土器

もう1点は、眼の周囲に入墨を施した「人面文」です。おや、この顔はどこかで見たことありませんか?そうです、姫下遺跡北方の亀塚遺跡出土の「人面文」土器と似ていますよね。定型化された図案があったと考えられるのですが、どれくらいに広がっていたのか関心のもたれるところです。


12/21/2012

栗狭間遺跡(くりはざま)遺跡の調査速報 その4

Filed under: - palace @ 10:07 am

栗狭間遺跡から有舌尖頭器と石匙が出土!

◎調査課の蔭山です。

豊田市下山地区の栗狭間遺跡です。前回紹介しましたD区から谷をはさんだ西側丘陵部分のA区を11月から12月上旬に調査しました。その結果、丘陵の斜面より中世から近世の土坑5基と炭窯跡12基がみつかりました。

A区
▲写真1:東より栗狭間遺跡A区(森の中にある発掘調査を行った茶色の部分
山の向こうは豊田市方面です。

A区全景
▲写真2:A区の全景(東より)
山の斜面の緩やかのところに中世から近世の土坑がみつかりました。

炭窯
▲写真3:炭窯跡012SY(長軸1.4m,幅0.75m)の部分(北東より)
炭窯跡の東側に作業場と思われるテラスがありました。

炭窯アップ
▲写真4:炭窯跡012SYのアップ(南より)
焼土室の床面には平坦な石材により石敷があり、石材はよく焼けていました。窯の煙道は地山の岩盤を削りだいたものでした(岩の黒くなっている部分)。

炭窯断面
▲写真5:炭窯跡012SYの断面
床面の石敷の下にも炭化物層や焼け土層があり、防湿や窯の作り替えがあった可能性があります。

いしさじ
▲写真6:熔結凝灰岩製の石匙(タテ3.1cm ヨコ4.9cm)
中世の遺物包含層の下から出土しました。不思議なことにA区からは縄文土器は出土していません、この石器だけが出土しました。

有舌尖頭器
▲写真7:安山岩製の有舌尖頭器(長軸4.9cm 幅1.6cm)
縄文時代草創期のものと考えられます。

 今年度の栗狭間遺跡の発掘調査はこれで完了しました。これからも何か新しくわかったことがありましたら、紹介していきたいと思っています。


12/5/2012

雲と考古学

Filed under: - palace @ 8:45 am

◎調査課の永井邦仁です。

 すっかり寒くなりました。私は部屋の中で寒がっているのですが、野外では寒風の中、発掘調査が続きます。
 発掘調査は、その土地ごとの気象によって大きく工程が左右されます。もちろん雨天中止なのですが、遺構の検出や写真撮影は、明るすぎても暗すぎても困ります。そこで雲の動きに注意するようになります。地面ばかり眺めているわけにはいかないのですね。

須ヶ谷
▲画像1:稲沢市須ヶ谷遺跡上空の雪雲

 稲沢市須ヶ谷遺跡は、一色青海遺跡などの弥生時代集落遺跡が分布する一角にあります。発掘調査は平成17年度の真冬に実施され、弥生時代の竪穴建物や方形周溝墓が検出されています。

 冬の濃尾平野には「伊吹おろし」と呼ばれる強烈な季節風が、北西方向から吹いてきます。これが雪雲を運んでくるのですが、画像のように一本の帯のような形で遺跡の真上に押し寄せてきます。そしてそれまでの快晴はみるみる暗くなっていき、雪が降り出します。

雲
▲画像2:雪雲の来る方向

 雪雲のコースはだいたい決まっていて、伊吹山の東、揖斐川上流の方向から流れてくるように見えます。そして名古屋駅の方向へのびていきます。その様子は龍や蛇などの動物のようでもありますが、弥生時代の人々はどんなふうに見えたのでしょうか。
 このような、土地特有の気象と遺跡との関係は、立証しにくい面もあるのですが、興味深いものがあります。

雪
▲画像3:降雪した調査区

 曇空もつかの間、積雪すると画像のようになります。この年度は特に雪が多かったですね。


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