長野北浦遺跡出土の鏃形石製品について
調査課の樋上です。
昨年度、発掘調査を実施した稲沢市長野北浦(ながのきたうら)遺跡から出土した、鏃形石製品を紹介します。
長野北浦遺跡は、JR東海道線稲沢駅の北西約500mに位置する古墳前期から近世にかけての遺跡です。都市計画道路稲沢西春線の建設に伴う事前調査として発掘調査を行いました。
その結果、前方後方墳の可能性をもつ古墳前期(4世紀前半)の大型方墳(墳丘の一辺が約25m)のほか、直径約10mの円墳や竪穴建物群など、多数の遺構が見つかりました。
なかでも注目されるのが、今回紹介する鏃形石製品です。出土地点は大型方墳の西約20mにある不定形の土坑からで、奈良時代の須恵器などが伴うことから、本来の埋納時期とは異なる二次的な堆積によるものと考えられます。
▲鏃形石製品
鏃形石製品は全長5.6cm、厚さ1.05cmを測り、矢じりの先端が鑿(のみ)形を呈する、鑿頭形とされるものです。石材はやや軟質の緑色凝灰岩を用いています。
愛知県内でこのタイプの鏃形石製品の出土例はなく(先端が尖るタイプの鏃形石製品は犬山市青塚茶臼山古墳から出土しています)、県外では、三重県伊賀市の石山古墳や奈良県桜井市のメスリ山古墳などで類例があります。おおむね鑿頭形の鏃形石製品が出土する古墳の時期は、古墳前期後半(4世紀前半頃)に属することから、大型方墳の時期とほぼ重なります。
石山古墳やメスリ山古墳古墳は、いずれも大豪族の奥津城であり、鏡や剣、玉、多量の鉄製武器類などが供伴していることから、この長野北浦遺跡出土の鏃形石製品も、本来はこれのみが単独で古墳に埋納されたのではなく、多数の副葬品が存在していたと考えられます。
おそらくは、大型方墳(全長約45mの前方後方墳となる可能性あり)に埋納されていたものが、奈良時代以降の墳丘の削平によって、埋まってしまったのだと考えられます。
尾張低地部の発掘調査では、墳丘が削平された古墳がたくさん見つかります。なかには比較的大型の古墳もあるのですが、埋葬施設が残っていないために、何が副葬されていたのかが全くわからないことがほとんどです。今回の鏃形石製品によって、これらの古墳の副葬品の一端がようやく垣間見えたといえましょう。今年度は、さらに大型方墳の周溝部分の調査を行いますので、さらなる副葬品の出土に期待したいところです。