最北の瓦塔をゆく
◎調査課の永井邦仁です。
11月下旬に宮城県加美郡加美町に所在する壇の越遺跡から出土した9世紀後半の瓦塔などを調査するため、同町教育委員会を訪問しました。
壇の越遺跡は、8世紀半ばに施工された方格地割が広がる遺跡です。その一角に9世紀後半につくられた小さな寺院遺構があり、瓦塔はそこを中心に出土しました。(遺跡の概要はこちらから→ 『 壇の越遺跡 -発掘調査の成果-』 宮城県加美町ホームページ > 行政情報 > 文化財 > 刊行物)
屋蓋部の大きさや表現方法などは、関東地域の同じころの瓦塔と同じで、愛知県内でみられる8世紀代の須恵質のものとはかなり違うものです。
この瓦塔は現在のところ、その分布の最北に位置しています。壇の越遺跡のある大崎平野は宮城県北部に相当し、古代国家が多数の城柵を建設した辺境の地でもあります。壇の越遺跡に隣接する東山官衙遺跡も、陸奥国賀美郡家としてだけでなく、城柵の機能を付加された拠点の1つだったようです。
ここで興味深いのが、壇の越遺跡の方格地割や東山官衙遺跡の郡家施設が8世紀から9世紀前半に充実しているのに対し、瓦塔や寺院の時期は9世紀後半から10世紀前半だということです。役所的なものが衰退した時期になって寺院が造られる。いったいこの寺と瓦塔の建てたのは誰なのでしょう?最北の瓦塔はまだまだ謎がありそうです。
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