報告書の紹介 町屋遺跡 その4
**遺跡報告〜町屋遺跡の巻 その4 銅剣形磨製石剣と鳥形土器〜**
○調査課の蔭山です。
町屋遺跡報告の第4回です。最後に今から約2,000 年あまり前の弥生時代中期後葉(B.C.1 世紀頃)、町屋遺跡が最も栄えたと考えられる時期の景観を想像してまとめとします。
この時期(弥生時代中期後葉)の遺構や遺物は、調査区の広い範囲からたくさん見つかりました。まさに遺跡の最盛期と考えられます。またこの時期の町屋遺跡が栄えた痕跡が、遺構や遺物の「量」以外にもみられます。それは、発掘調査でみつかった銅剣形磨製石剣(どうけんがたませいせっけん)と鳥形土器です。
▲写真2 町屋遺跡からみつかった銅剣形磨製石剣(どうけんがたませいせっけん)
泥岩を用いて作られたもので、片全体の色は緑黒色を帯びています。表面全体が研磨されており、少し光沢が残る部分があります。この石剣は剣の刃部で、身の中央の鎬(しのぎ)の両側に樋(ひ)と呼ばれる溝がみられ、銅剣を写したものと考えられます。長さ4.65cm です。
▲写真3 町屋遺跡から見つかった鳥形土器
鳥の体を真似た形の弥生土器で、表面全体をハケ状の工具で整えた後、器の上半に羽の表現と思われる刺突文が描かれています。頭の部分は欠損しているように見えますが、当初よりなかった可能性もあります。体部の径は8.6×9.9cm、底部の径は4.0×5.6cm です。
銅剣形磨製石剣(どうけんがたませいせっけん)の破片や鳥形土器は、名神高速道路の北側にある調査区で、大型の竪穴建物跡の付近から出土しました。また少し離れた所からも管玉が1点出土しました。これらのことから、この大型の竪穴建物跡の居住者が、銅剣形磨製石剣をもち、鳥形土器を使ったお祭りなどの儀式を執り行なった集落の主導者に関係すると思われます。
▲図1 今から約2,000 年あまり前の町屋遺跡(弥生時代中期後葉)
ところで、町屋遺跡は昭和の初め頃から、多数の石器や弥生土器がみつかることでよく知られていた遺跡でした。図1は、平成19 年度の発掘調査成果とこれまでに発見・調査・研究報告された遺物の地点を地図の上にあわせたものです。地点E 〜I の近くから、大変すばらしい銅剣形磨製石剣(長谷川昭三氏寄贈 一宮博物館所蔵 *一宮市博物館だよりNo.51 -2013.3 参照 )が、地点F からは勾玉や管玉を始めとする石器が多数みつかっています。
これらのことから、町屋遺跡は南北約370m、東西約200m に広がる遺跡であると推測できます。
これまで紹介させて頂いた町屋遺跡は、一宮市の弥生文化を考える上で貴重な遺跡になるものと思われます。今後の地域の歴史の理解と調査・研究に活かされることを期待しています。
第179 集 町屋遺跡 発掘調査報告書 ダウンロード (222Mb)