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愛知県埋蔵文化財センター  - 公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団

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11/27/2013

栗狭間(くりはざま)遺跡の調査速報 その6

Filed under: - palace @ 8:52 am

A 区に隣接するB 区とC 区の調査が終りました。


▲遺跡遠景


▲ 13B 区とC 区2 面全景(11 月5 日撮影 左が北)

 山側のC 区(第2 面)では、陥し穴(おとしあな)と思われる土坑(どこう)が見つかり、合計2基(038SK・068SK)となりました。穴底の真ん中にある直径10 〜 15cm の小穴をたち割って観察すると、068SK では約30cm ほどの深さがあります。先端のとがった棒状のものがつき立てられていたようです。
 調査地点は谷が広がる地形の上流部に位置するためか、同じ方向から流れ出すいくつもの川跡が見つかります。周辺の環境や埋まった時期が異なり、縄文時代晩期の土器や鎌倉時代の山茶碗が出土したほか、オレンジ色の土塊のようにみえる火山灰(約9,300 年前, 鬱陵隠岐(うつりょうおき)火山灰か?)も検出されました。


▲表面を平(たいら)にけ削ずり、埋まった穴の痕跡を探します


13C 区068SK の場合
 ▲埋まっている土だけ取り除きます(ここでは黒い土が詰まっていました。)


▲おや、底にも穴がありますね


▲そっと半分に割ってみましょう


▲表面を整えると小穴は30cm ほど下まで続いていたことがわかりました。
(杭のようなものが設置されたのでしょうか)


11/22/2013

**土器の接合研修**

Filed under: - palace @ 8:53 am

 調査課整理担当の池本です。

 現在、愛知県埋蔵文化財センターでは、土器片等の合成ニカワによる接合を導入しております。今年1月に導入のための内部検討会を実施し、その時の様子もこちらで紹介しています。

 導入から約1年が経過しましたが、その間に生じた疑問などを解決するための研修会を先日実施しました。

 研修会では、復元時に仕上がりのひずみを軽減する円弧状の紙片を活用する方法や、破面の隙間に注射器を使用して合成ニカワを充填する方法などの新たな提案もありました。また、日頃の疑問点や問題点も多くが解決でき、有意義な研修でした。


11/15/2013

報告書の紹介〜町屋遺跡 その2〜

Filed under: - palace @ 10:18 am

調査課の蔭山です。

町屋遺跡報告の第2回です。今回は町屋遺跡でみつかった変わった土器の紹介です。


▲写真1 双口壺と内湾口縁高杯*(愛知県陶磁美術館 南館にて展示中!)

町屋遺跡の07Ha区から出土した口が2つある壺と口が内側に曲がっている高杯です。


▲写真2  双口壺と内湾口縁高杯が出土した様子 南より*(愛知県陶磁美術館 南館にて展示中!)

集落の北側の地点で、弥生時代中期の溝の下にあった川の埋積した砂の中から見つかりました。どうして川辺の場所で、この2点の土器だけが残されたのでしょうか?



▲写真3 双口壺*(愛知県陶磁美術館 南館にて展示中!)

見つかった一つがこの口の2つある壺で、頸部から体部にかけて櫛を束ねたような工具で波状文が描かれています。底の近くもこの工具で表面が整えられています。



▲写真4 内湾口縁高杯*(愛知県陶磁美術館 南館にて展示中!)

写真3の双口壺と一緒に出土した高杯です。土器の口縁が内側に折り曲げられているのが特徴です。双口壺と同じ櫛を束ねたような工具で、表面が整えられています。

▲写真5 内湾口縁高杯の底部に付いた布痕

写真4の高杯にはもう一つ隠れた特徴がありました。土器を横においてみると、脚部の底に布の圧痕が残っていました。


▲写真6・7 町屋遺跡から出土した櫛条痕調整深鉢*(愛知県陶磁美術館 南館にて展示中!)

町屋遺跡の別の地点から出土した弥生土器です。双口壺と内湾口縁高杯と同じ工具で作られた土器がこの深鉢です。このタイプの土器の底部にも、内湾口縁高杯と同じ布の圧痕が残されていて、土器作りをした時に、下に敷かれていた布の痕と考えられています。

 町屋遺跡において、この変わった弥生土器を製作して、残した人々の文化的背景を探る上で、貴重な資料であると思われます。


11/11/2013

栗狭間(くりはざま)遺跡の調査速報 その6

Filed under: - palace @ 10:30 am

栗狭間(くりはざま)遺跡は、豊田市下山田代町内の遺跡です。

去る10月26・27日に下山交流館祭で配布予定だった資料のPDFを公開します。
下記のところよりダウンロードできます。

配布資料 11.4Mb


▲栗狭間遺跡と周辺の遺跡(北から撮影)

栗狭間遺跡は、旧石器時代、縄文時代、平安時代、鎌倉時代、江戸時代にわたる複合遺跡です。

 13A 区では古い河川跡と中州状の地形が確認されました。遺物の多くがここから出土しています。
 主なものではナイフ形石器( 旧石器時代)、有舌尖頭器(縄文時代草創期)、縄文土器(早期・晩期)、灰釉陶器(平安時代)などがあり、そのほか河川跡を埋めている厚い堆積層からは鎌倉時代の山茶碗・小皿と加工された板材や樹木片が大量に見つかりました。


▲有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき) 下呂石製


▲灰釉陶器 碗(かいゆうとうき わん) 底面に墨で文字が書かれています

 住居の跡や作業場所は特定できませんでしたが、上流部のごく近辺で人々が活動していたことがわかりました。


11/5/2013

孫石遺跡(豊田市) 解説資料の公開

Filed under: - palace @ 9:32 am

孫石(まごいし)遺跡は、豊田市下山田代町内の遺跡です。

去る10月26・27日に下山交流館祭で配布予定だった資料のPDFを公開します。
下記のところよりダウンロードできます。

配布資料 106.8Mb


▲ゆるい斜面に平安時代の遺跡が広がる様子

孫石遺跡は縄文時代・平安時代・近代の3時期にわたる複合遺跡です。

 縄文時代では、石器や土器がわずかに出土するのみでした。しかし、動物を捕獲するための陥し穴(おとしあな)がいくつかあり、これも縄文時代のものと推定されます。

▲13B区陥し穴1〜4の位置

 平安時代では、溝で囲まれた緩斜面に建物跡や鍛冶炉跡(かじろあと)などが展開します。多くの灰釉陶器(かいゆうとうき)碗・皿や土師器鍋(はじきなべ)なども出土し、そこで継続的に営みがあったと想定されます。

▲遺物出土状況

 近代では炭焼窯(すみやきがま)がいくつか発見されました。

▲炭焼窯1と灰捨て場(灰原)


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