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愛知県埋蔵文化財センター  - 公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団

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my weblog : 201003

3/20/2010

石座神社遺跡 地元説明会のお知らせ

Filed under: - palace @ 8:45 am

 日頃は、埋蔵文化財の調査・研究につきまして、ご理解とご協力をいただき、厚くお礼申し上げます。
愛知県埋蔵文化財センターでは、平成21年8月より新城市大宮地区の『石座神社遺跡』(いわくらじんじゃいせき)の発掘調査を行ってまいりました。

 石座神社遺跡では、弥生時代後期〜古墳時代前期の竪穴住居が100軒以上見つかり、さまざまな遺物も出土しています。

 つきましては、これらの発掘調査の成果を見て頂きたく説明会を下記のように開催いたしますので、皆様お誘い合わせのうえ、ぜひお越し下さい。 

       記

1 日 時  平成22年3月27日(土曜日) 午前11時〜

2 場 所  新城市大宮字長頭貝津・狐塚

3 内 容  調査成果の説明、出土品の展示

4 交通手段  JR飯田線「茶臼山駅」より  北へ徒歩約30分
※ 当日は駐車場に限りがありますので、できる限り公共交通機関のご利用をお願いします。
5 連絡先 愛知県埋蔵文化財センター新城詰所  電話  0536-23-7544 


地図

遺物
▲竪穴住居より出土した遺物の様子

炭化材
▲竪穴住居床面に広がる炭化材の様子

調査
▲発掘掘調査の様子

※同時に、先日説明会が中止となった須長10号墳のパネル写真および遺物展示も行う予定です。

須長
▲須長10号墳出土遺物


3/15/2010

西牧野遺跡 調査速報 その2

Filed under: - palace @ 8:45 am

● 調査課の石原です。

 平成21年4月から発掘調査を行ってきました西牧野遺跡の今年度の調査がほぼ終了いたしました。前回のご報告以降新たに発見された事実についておもなものをお知らせいたします。

全景
▲西牧野遺跡が位置する段丘を西から東に眺望

東西約600mの範囲のうち、今年度はA〜Fの6調査区について調査を行いました。
なだらかに東から西へ下る地形のこの遺跡の一番東に位置するA区では、刀子と土師器皿をともなったものを含め、中世の土壙墓が2基検出されました。また、大型の土坑群や多くの溝も検出されました。

遺物
▲刀子と土師器皿の出土状況

 また、厚さ10cmを超える火山灰の堆積層も検出されました。愛知県でこうした堆積層が検出されることは大変珍しいことです。風化が激しく、分析結果からははっきりと火山灰の種類が判別できませんでしたが、今のところ鬼界アカホヤ火山灰(約7300年前のもの)かカワゴ平火山灰(約3000年前のもの)のどちらかであろうと考えております。

火山灰
▲火山灰層

 A区から300mほど西側にあるB区では幅9mほどの旧河道が顔を見せました。この旧河道は江戸時代以前に大部分が埋まり、水田などの耕作地になったと考えています。調査区の北側では、一辺約10m規模の弥生時代の方形周溝墓1基を確認しました。また、旧河道の岸には江戸時代など比較的新しい時期の溝が幾筋も河川に沿うように走っていました。

遺構
▲方形周溝墓の南・東の2辺(朱線)と撹乱土坑群

 C、D区は遺構は比較的希薄であるものの、C区では炉跡のある円形竪穴建物跡のほか、鎌倉時代の堀立柱建物や地下式壙が、D区では縄文中期の深鉢のほか鎌倉時代や近代の溝が検出されました。
 この2つの区ではさらに下の層で、合わせて1000点を超える旧石器が検出されました。石材は溶結凝灰岩と黒曜石がそのほとんどを占め、器種は剥片やチップが9割を占めるものの、石核、ナイフ形石器のほかに少数ではありますが、掻器、削器、角錐状石器、槍先形尖頭器も出土しています。
 出土状況はほぼ平面上に径約2mの中に集中して出土する場所と、広範囲にわたって散漫に出土する場合が見られました。

集中
▲集中出土例

広範
▲広範囲出土例

西牧野遺跡は複合遺跡ではありますが、西三河地域の旧石器時代の様子を知る上で、県内で類例を見ない規模・内容をもつ重要な遺跡と位置づけられます。また、地元で採れない黒曜石などの石材はどのようにしてこの地にやってきたのか、現段階で約2万年前と考えている出土旧石器の時期をもう少し絞り込むことができるのか、石器の加工場所は存在するのに生活の跡がないのはなぜかなど、さらに明らかにしていきたい課題がいくつもあります。
今年度の調査結果を詳細に検討するとともに、来年度以降も注意深く発掘調査を行っていきたいと思います。


3/8/2010

石座神社遺跡 調査速報3

Filed under: - palace @ 8:45 am

●調査課の白井です。

 日頃は、埋蔵文化財の調査・研究につきまして、ご理解とご協力をいただき、厚くお礼申し上げます。愛知県埋蔵文化財センターでは、平成21 年8 月より新城市大宮の『石座神社遺跡』(いわくらじんじゃいせき)の発掘調査を行っています。

全景
▲石座神社遺跡09 調査区遠景

 今年度の調査では、弥生時代後期〜古墳時代前期の竪穴建物が約100 棟見つかり、丘陵斜面に立地する大規模な集落が確認されています。また、たくさんの弥生土器、土師器に加え、縄文時代前期の滑石製けつ状耳飾(けつじょうみみかざり)や昨年度の調査でも見つかった鉛製鉄砲玉などが出土しています。
大型竪穴建物
▲丘陵斜面に立地する大型竪穴建物

遺物
▲竪穴建物における遺物出土状況

耳飾り
▲滑石製けつ状耳飾(けつじょうみみかざり)

玉
▲鉛製鉄砲玉出土状況

 本遺跡は、弥生時代後期〜古墳時代前期における旧設楽郡の中での大規模な集落として位置づけらます。今後、集落の立地や規模、継続性、遺構や出土遺物の構成等の観点から、吉竹遺跡や、モリ下遺跡といった近隣集落との関係性について、より詳細な検討が必要だと考えられます。また、縄文時代の遺物は、草創期〜前期に帰属するものが多いとみられ、当地域の具体的な様相を知るための良好な資料になると思います。


3/1/2010

下新田遺跡 調査速報 その2

Filed under: - palace @ 1:11 pm

●調査課の榊原です。

 平成21 年10 月より進めてきました下新田遺跡の発掘調査が、平成22 年2月19 日をもって無事終了することができました。新たにわかりました主な調査結果についてお伝えいたします。

全景
▲遺跡全景(南より撮影)

 下新田遺跡は弥生時代から近世にかけての複合遺跡です。特に奈良時代と室町時代後半(戦国時代)の遺構及び遺物が多く見つかりました。

1 弥生時代中期後葉(およそ2000 年前)
 前回の調査速報でもご紹介しましたが、岩倉市総合体育文化センター北西のDa 区南端では、荒い櫛状の工具で施文された深鉢(弥生中期後葉のもの)が出土しました。
その後の調査で、Da 区の南に隣接するDb 区の調査を進めました。その結果、深鉢が出土した溝はDb 区側に伸びており、西側を「コ」の字状に囲んだ幅約1m の溝であることがわかりました。この溝は一辺が10 m程の方形周溝墓の周溝である可能性が考えられます。またDb 区側でもこの溝からは弥生時代の深鉢底部(写真参照)が出土しています。弥生時代の遺物・遺構の分布状況から考え、弥生時代の集落はDa・Db 区の南西、はなのき広場の方向に広がっていたと思われます。 

深鉢
▲弥生時代の深鉢(Db 区で出土)

2 奈良時代(およそ1300 年前)
 この時代の遺構は、県道の西側の調査区でも東側の調査区でも、多数見つかりました。竪穴住居40 棟のほか、柱穴や土坑が確認されています。Da 区では掘立柱建物と思われる柱列が、Da 区の北のEd 区では古代の大型土坑(写真参照)が見つかりました。総合体育文化センター北西にかけてが、古代集落の中心部に近いと考えられます。また、はなのき広場の南東に位置するDc 区からは須恵器に墨で文字が書かれた墨書土器が出土しました。漢字の「にんべん」の部分を読み取ることができます(写真参照)。

土坑
▲古代の大型土坑(Ed 区。南西より撮影)

にんべん
▲「にんべん」が書かれた須恵器の墨書土器(Dc 区より出土)

3 室町〜戦国時代(およそ500 年前)
 今回調査を実施した全12 調査区において、方形に巡る区画溝が確認されました。軸線は東に13°ほど振れており、どの溝もほぼ同じ方向に巡っています。B 区では幅4m を超える大溝や井戸、県道を挟んで向かい合うDa区では大型土坑が集中して掘削されている地点があることから、15 世紀後半〜16 世紀にかけて居住域が広がっていたと考えられます。

全景
▲ Ab 区全景(古代と戦国の遺構が多い。北より撮影)

 5ヶ月にわたり実施した調査によって、多くの成果を得ることができました。また下新田遺跡の北東0.5km に位置する御山寺遺跡から続く古い微高地上に立地することもわかりました。今後は調査記録や出土遺物の整理を行い、岩倉の歴史についての調査研究を進めていきたいと考えています。


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