●調査課の榊原です。
平成21 年10 月より進めてきました下新田遺跡の発掘調査が、平成22 年2月19 日をもって無事終了することができました。新たにわかりました主な調査結果についてお伝えいたします。
▲遺跡全景(南より撮影)
下新田遺跡は弥生時代から近世にかけての複合遺跡です。特に奈良時代と室町時代後半(戦国時代)の遺構及び遺物が多く見つかりました。
1 弥生時代中期後葉(およそ2000 年前)
前回の調査速報でもご紹介しましたが、岩倉市総合体育文化センター北西のDa 区南端では、荒い櫛状の工具で施文された深鉢(弥生中期後葉のもの)が出土しました。
その後の調査で、Da 区の南に隣接するDb 区の調査を進めました。その結果、深鉢が出土した溝はDb 区側に伸びており、西側を「コ」の字状に囲んだ幅約1m の溝であることがわかりました。この溝は一辺が10 m程の方形周溝墓の周溝である可能性が考えられます。またDb 区側でもこの溝からは弥生時代の深鉢底部(写真参照)が出土しています。弥生時代の遺物・遺構の分布状況から考え、弥生時代の集落はDa・Db 区の南西、はなのき広場の方向に広がっていたと思われます。
▲弥生時代の深鉢(Db 区で出土)
2 奈良時代(およそ1300 年前)
この時代の遺構は、県道の西側の調査区でも東側の調査区でも、多数見つかりました。竪穴住居40 棟のほか、柱穴や土坑が確認されています。Da 区では掘立柱建物と思われる柱列が、Da 区の北のEd 区では古代の大型土坑(写真参照)が見つかりました。総合体育文化センター北西にかけてが、古代集落の中心部に近いと考えられます。また、はなのき広場の南東に位置するDc 区からは須恵器に墨で文字が書かれた墨書土器が出土しました。漢字の「にんべん」の部分を読み取ることができます(写真参照)。
▲古代の大型土坑(Ed 区。南西より撮影)
▲「にんべん」が書かれた須恵器の墨書土器(Dc 区より出土)
3 室町〜戦国時代(およそ500 年前)
今回調査を実施した全12 調査区において、方形に巡る区画溝が確認されました。軸線は東に13°ほど振れており、どの溝もほぼ同じ方向に巡っています。B 区では幅4m を超える大溝や井戸、県道を挟んで向かい合うDa区では大型土坑が集中して掘削されている地点があることから、15 世紀後半〜16 世紀にかけて居住域が広がっていたと考えられます。
▲ Ab 区全景(古代と戦国の遺構が多い。北より撮影)
5ヶ月にわたり実施した調査によって、多くの成果を得ることができました。また下新田遺跡の北東0.5km に位置する御山寺遺跡から続く古い微高地上に立地することもわかりました。今後は調査記録や出土遺物の整理を行い、岩倉の歴史についての調査研究を進めていきたいと考えています。