鹿乗川の橋と遺跡をめぐる(5)
調査課の永井邦仁です。
下懸橋から北の台地側は竹薮になっていて、その中の道をさらに北へ進むと堤防と集落の間に畑が広がっています。この畑は堤防や西側の集落から一段低く、集落がちょうど台地の縁にあたることがわかります。つまり鹿乗川の旧流路がここで緩くカーブしていたと考えられる地点です。
その畑の中を東西に土手道がのびており、鹿乗川に架かる橋に至ります。これが加美橋です。土手道や橋は、前回紹介した下懸橋とともに天保3年(1832年)の小川村絵図に描かれているので、それ以前からあったことがわかります。
そして加美橋を東へ渡った地点の左右に広がるのが寄島遺跡です。平成19・23年度に愛知県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施して、弥生時代末〜古墳時代初めの集落遺跡であることを確認しました。
大雑把ですが、橋から約50m南側で方形周溝墓や一辺が約40mの方墳(あるいは前方後方墳)の周溝が検出され、橋の周辺と北側では竪穴建物を多数検出しています。やはりこの橋も、集落の中でも比較的高い地点に架かっているのです。
寄島遺跡は付近の小地名に由来していますが、その名の通り台地から川によって隔てられた「島」だったとみられます。鹿乗川から矢作川までの間には「島」地名がいくつかありますが、かつては寄島遺跡のような川に囲まれた微高地だったのかもしれません。