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愛知県埋蔵文化財センター  - 公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団

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my weblog : 201204

4/27/2012

鹿乗川の橋と遺跡をめぐる(5)

Filed under: - palace @ 9:13 am

調査課の永井邦仁です。

  下懸橋から北の台地側は竹薮になっていて、その中の道をさらに北へ進むと堤防と集落の間に畑が広がっています。この畑は堤防や西側の集落から一段低く、集落がちょうど台地の縁にあたることがわかります。つまり鹿乗川の旧流路がここで緩くカーブしていたと考えられる地点です。

台地
▲画像1  台地の縁と一段低い畑

 その畑の中を東西に土手道がのびており、鹿乗川に架かる橋に至ります。これが加美橋です。土手道や橋は、前回紹介した下懸橋とともに天保3年(1832年)の小川村絵図に描かれているので、それ以前からあったことがわかります。

加美橋
▲画像2 加美橋から東方をのぞむ

 そして加美橋を東へ渡った地点の左右に広がるのが寄島遺跡です。平成19・23年度に愛知県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施して、弥生時代末〜古墳時代初めの集落遺跡であることを確認しました。

寄島
▲画像3 寄島遺跡の竪穴建物群:平成19年度

寄島23
▲画像4 寄島遺跡の方墳周溝:平成23年度

 大雑把ですが、橋から約50m南側で方形周溝墓や一辺が約40mの方墳(あるいは前方後方墳)の周溝が検出され、橋の周辺と北側では竪穴建物を多数検出しています。やはりこの橋も、集落の中でも比較的高い地点に架かっているのです。

寄島資料
▲画像5 寄島遺跡の概要図:平成23年度地元説明会資料より

 寄島遺跡は付近の小地名に由来していますが、その名の通り台地から川によって隔てられた「島」だったとみられます。鹿乗川から矢作川までの間には「島」地名がいくつかありますが、かつては寄島遺跡のような川に囲まれた微高地だったのかもしれません。


4/25/2012

平成24年度発掘調査予定遺跡

Filed under: - palace @ 12:14 pm

今年度は以下の遺跡を発掘調査する予定です。
h24位置

①西地・東地遺跡     設楽町大名倉
②トヨガ下遺跡      豊田市下山田代町
③猪移り遺跡       豊田市下山田代町
④栗狭間遺跡       豊田市下山田代町
⑤蔵平遺跡        豊田市下山田代町
⑥岡山南遺跡       西尾市吉良町岡山ほか
⑦東下地遺跡       豊橋市石巻本町
⑧野添遺跡        豊橋市石巻本町
⑨曲松遺跡        豊橋市大岩町
⑩北丹波・東流遺跡    稲沢市下津丹下田町
⑪松崎遺跡・上浜田遺跡  東海市大田町
⑫寄島遺跡        安城市小川町
⑬宮下遺跡        安城市桜井町
⑭惣作遺跡        安城市木戸町


4/20/2012

鹿乗川の橋と遺跡をめぐる(4)

Filed under: - palace @ 10:44 am

調査課の永井邦仁です。

 ようやく寒風もおさまり、春らしい日々になりました。橋と遺跡めぐりを再開しましょう。
 先回の五反田橋から北へ、台地上をのびる砂利道が竹薮に達したところにあるのが下懸橋です。現在の橋は昭和34年につくられたコンクリート橋脚で、南側に平成19年竣工の下懸通学橋があります。
東方
▲画像1  下懸橋から東方の低地をみる

 ここには、橋の東側にJAあいち中央の施設、西側には安城市小川町内会の事務所があって、さながら小川町のセンターのような場所になっています。そして古代以前も、ここに地域の中で比較的大きな集落があったことが判明しています。それが下懸遺跡です。
資料
▲画像2:下懸遺跡概略図(平成21年度地元説明会資料より)

 下懸遺跡の発掘調査は過去2回実施され、弥生〜古墳時代に埋まりつつあった流路と、その北東側の自然堤防上で弥生時代末〜古墳時代初頭に最盛期となる集落の遺構、竪穴建物や掘立柱建物が検出されました。また流路際では、集落で使われた大量の土器が出土しています。
土器
▲画像3:下懸遺跡の土器出土状況

土器の一部
▲画像4:出土土器の一部を集めてみました

 その後古墳時代の間は低調なのですが、奈良時代になると再び流路の周辺で開発が始まったとみられ、その時代の堆積層からは文書を記したり習字をした木簡が出土しています。内容からは役所やその出先施設あるいはそこに仕官した豪族の居宅が付近にあったことがうかがえます。
土器の一部
▲画像5:平成21年度下懸遺跡出土の文書木簡

 下懸橋は、今の鹿乗川をまたぐとともに太古の流路もまたいでいることになります。そして台地から渡ったその先に、自然堤防の一番高い地点があっておそらく集落の中心地が存在したのではないでしょうか。発掘調査の成果はそのような推測をさせてくれます。


4/11/2012

日置本郷B遺跡について

Filed under: - palace @ 9:21 am

調査課の蔭山です。

 この度、報告書が刊行される日置本郷B遺跡の報告です。
 日置本郷B遺跡は愛知県愛西市日置町(旧海部郡佐屋町日置町)にある遺跡で、古墳時代から中世にかけての遺跡として、『佐屋町史』などにおいて紹介されていた遺跡です。愛知県埋蔵文化財センターでは、平成21年12月から平成22年2月にかけて発掘調査を行い、古墳時代後期から江戸時代にかけての遺構と遺物を確認しました。今回は、発掘調査で見つかった墨書土器について紹介します。

全景
▲写真1  日置本郷B遺跡 北から

 写真2は、8世紀頃の須恵器の鉢の破片で、古代から江戸時代の自然河道(09A区)の上にある遺物包含層から出土したものです。鉢は口縁部径24cmのもので、ロクロナデによる調整がされています。その内面に「大万」と棒状の道具で、刻書がありました。「大万」の意味は、名前や地名というよりは、吉祥句のような意味をもつものと考えられます。刻書は須恵器などの生産遺跡である窯元にて書かれるものなので、消費遺跡で書かれる墨書土器に比べて少なく、貴重な資料です。

大万
▲写真2  須恵器の鉢の破片

 写真3は、鎌倉時代の山茶碗の底部片で、古代から中世の自然河道(09A区002NR)から出土したものです。底部の外面に「○」に「大」を書いた墨書がありました。
 本遺跡から出土した墨書土器は他に奈良時代の須恵器の蓋1点、灰釉陶器の碗1点、鎌倉時代から室町時代の山茶碗の底部や土師器の小皿の底部の外面などに17点があり、中世の遺物に比較的多くの墨書土器がありました。他の墨書について字や記号として判明できるものは、「十」や「二」、「○」がありました。
 これらの刻書土器や墨書土器には、「大万」のように吉祥句を書いたものもあるが、大部分は土器の使い分けなどの所有を示すもののように思われます。

大○
▲写真3  山茶碗の底部片


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