鹿乗川の橋と遺跡をめぐる(4)
調査課の永井邦仁です。
ようやく寒風もおさまり、春らしい日々になりました。橋と遺跡めぐりを再開しましょう。
先回の五反田橋から北へ、台地上をのびる砂利道が竹薮に達したところにあるのが下懸橋です。現在の橋は昭和34年につくられたコンクリート橋脚で、南側に平成19年竣工の下懸通学橋があります。
▲画像1 下懸橋から東方の低地をみる
ここには、橋の東側にJAあいち中央の施設、西側には安城市小川町内会の事務所があって、さながら小川町のセンターのような場所になっています。そして古代以前も、ここに地域の中で比較的大きな集落があったことが判明しています。それが下懸遺跡です。
▲画像2:下懸遺跡概略図(平成21年度地元説明会資料より)
下懸遺跡の発掘調査は過去2回実施され、弥生〜古墳時代に埋まりつつあった流路と、その北東側の自然堤防上で弥生時代末〜古墳時代初頭に最盛期となる集落の遺構、竪穴建物や掘立柱建物が検出されました。また流路際では、集落で使われた大量の土器が出土しています。
▲画像3:下懸遺跡の土器出土状況
その後古墳時代の間は低調なのですが、奈良時代になると再び流路の周辺で開発が始まったとみられ、その時代の堆積層からは文書を記したり習字をした木簡が出土しています。内容からは役所やその出先施設あるいはそこに仕官した豪族の居宅が付近にあったことがうかがえます。
▲画像5:平成21年度下懸遺跡出土の文書木簡
下懸橋は、今の鹿乗川をまたぐとともに太古の流路もまたいでいることになります。そして台地から渡ったその先に、自然堤防の一番高い地点があっておそらく集落の中心地が存在したのではないでしょうか。発掘調査の成果はそのような推測をさせてくれます。
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