豊橋市・キジ山古墳群を歩く(1)
◎調査課の永井邦仁です。
今月末の29(土)・30(日)は、名古屋市博物館で開催される『考古学セミナー あいちの考古学2014』です。30日には、後期古墳をテーマにしたセッションが予定されていますが、そのひとつに豊橋市・キジ山古墳群が挙っています。
そこで昨年度末に刊行された調査報告書(http://www.maibun.com/DownDate/PDFdate/18800.pdf)から、少しずつ紹介していきたいと思います。
キジ山古墳群は、豊橋市の市街地東方の丘陵上に立地する古墳時代後期の古墳群です。豊橋市の水道タンクのある丘(頂上は標高130m)といえばすぐおわかりでしょう。そこには40基以上の古墳があるのですが、平成22年度に埋文センターが3基の横穴式石室を発掘調査しました。
一番注目されたのが、一番小さな石室です【KJ10A区001SZ】。南東側斜面の低い地点(標高38m)です。全長が人の背丈くらいしかない(約1.7m)ものですが、奥壁があって胴張り形をしているので、立派な横穴式石室なのです。残念ながら副葬品の出土はなかったのですが、付近からは8世紀前半とみられる須恵器杯片が出土しているので、おそらく7世紀末から8世紀前半につくられたものと考えられます。なお、このタイプの古墳はあまりに小さいので墳丘もほとんどなく、地表面でみつかりにくいという問題があります。
尾根の高いところで検出されたのが南へ開口する横穴式石室です【KJ10C区018SZ】。石室内は撹乱を受けており出土品が少なかったのですが、径の小さな耳環2点や須恵器蓋片が出土しています。7世紀初め頃につくられたと考えられます。
最後に紹介するのが、西側斜面の標高57m地点で検出された、西へ開口する石室です【SU10A区082SZ】。石室の平面形が胴張りのない長方形なのと、石室内から出土した須恵器や土師器の時期から、6世紀後葉につくられたものと推定されます。おそらくキジ山古墳群の中でも最古段階に位置するでしょう。
このように、さまざまな時期の古墳を調査したことで、墓域の変遷がみえてきました。つまり、西側斜面で始まったものが7世紀代には尾根上の高いところにおよんで、やがて南東斜面の低いところへ広がっていく、というものです。この変遷についてはセッションで詳しく述べたいと思います。
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