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my weblog : 滝町古窯跡 調査速報その1

6/3/2008

滝町古窯跡 調査速報その1

Filed under: - palace @ 1:33 pm

◎調査課 武部です。
 5月から岡崎市滝町において、「急傾斜地崩壊対策事業」に伴う事前調査として滝町古窯跡の調査を行っています。遺跡は明治時代に操業していたとされる陶磁器の窯跡であり、以前から周辺では窯道具や窯壁の一部と思われる煉瓦片などが拾われていました。
滝町遺跡上段調査開始
▲上段の調査開始
 調査地点は、頂上が墓地として使われている丘陵の南西側斜面(標高45〜58m)であり、三段に造成されています。遺構は主に中段と下段において確認されており、下段は物原層の厚い堆積層を整地した平場でした。掘削が可能な約2.0mの深さまでのほとんどが匣鉢・ハリ・トチンなど窯道具類であり、製品が極端に少ないのが不思議です。焼損じの失敗品でみると、ここで作られた製品は磁器染付の碗類であり、文様を呉須で筆書きした端反碗や広東碗、蓋碗などの種類がみられます。

滝町遺跡物原
▲物原

滝町遺跡出土遺物1滝町遺跡出土遺物2
▲出土遺物

 中段の平場は窯体が築かれた場所と推定されていますが、現在調査中であり明確な位置は確定していません。窯が廃絶した以降に小規模な建物があったようで、漆喰を貼った床面と石列、明治期から戦前にかけてのガラス薬品瓶や食器類が検出されています。
滝町遺跡作業風景
▲作業中

 ところで、明治5年から10年頃、岡崎では京焼の名家である永楽和全が滞在して作陶を行っています。永楽和全が去ったのち、後を継いだ幾つかの窯も廃業してゆきしばらく途絶えていましたが、明治22年に和全風、永楽風の作品の趣を求めて復興された「甲山焼」(岡崎市六供町)については、窯跡が史跡として残されています。

 今回の調査地点と、この永楽和全との直接の関連性を示す証拠は得られていません。
 ただ、ちょうど同じ明治の初期に、これまで全く窯業と関係がなく、技術も材料もなかった場所で突如として磁器生産が行われたということになります。技術的にどのような由来が考えられるのでしょうか、また、この地がなぜ選ばれたのでしょうか。地域史の中に位置づけられるような成果が得られるよう、期待しつつ調査を進めています。


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