加原遺跡 調査速報 その1
◎調査課の永井邦仁です。
新城市大宮地区に所在する加原遺跡では7 月から発掘調査を実施しています。この度地元の皆さんに成果を解説する説明会を開催しましたところ、多数のご参加がありました。たいへん感謝いたしております。
さて、加原遺跡の立地する連吾川西岸の段丘斜面は、天正3(1575)年の長篠・設楽原合戦の際、織田・徳川連合軍が布陣したとされています。しかしながら発掘調査で確認されたのは平安時代中〜後期(10 〜12 世紀)の集落跡でした。
集落は竪穴住居と掘立柱建物で構成され、比較的古い10 世紀代の竪穴住居は一辺が約5m の規模ですが、新しい時期(12 世紀)のものになると一辺が約3m で、小さくなる傾向にあるようです。竪穴住居からの出土遺物は少ないのですが、集落の南側にある小さな谷からは、廃棄された灰釉陶器や山茶碗や土師器鍋が多数出土しました。12 世紀には山側を削って出た土で谷を埋めたと考えられます。
尾張・三河地域の平安時代の食器は須恵器や灰釉陶器がほとんどなのですが、今回の調査では緑釉陶器や白磁も1 点ずつですが出土しました。さらにめずらしいものとしては信濃地域からもたらされたと推定される土師器椀があります。地味な色ながら異彩を放っています。
▲第2 検出面全景(平安時代末、北から)
▲第3 検出面全景(平安時代中〜後期、南東から)
▲ 10 世紀後半の竪穴住居跡とその堆積土層断面
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