キジ山古墳群を歩く(5)
◎調査課の永井邦仁です。
先回(4)で紹介したように、キジ山古墳群のある丘陵頂部に立地する巨岩周辺では、古墳が検出されていません。そこからしばらく下ったところでようやく13号墳や34号墳の墳丘があらわれます。
さて、34号墳の脇では小さな調査区(KJ10B区)を設定し、墳丘裾部や周溝の調査を実施しました。
34号墳の墳丘はわずかな高まりが残っているだけで石室の残存状況もわかっていません。しかしKJ10B区では、周溝とその堆積から須恵器甕の破片数点を検出することができました(画像2の小礫が集中しているあたりです)。本来の墳丘は現状でみえているものより一回り大きかったものと考えられます。
こうして検出遺構を測量して完了、といきたかったのですが、「地山」が今ひとつはっきりしないのです。そもそも傾斜地なのに平らな面が広すぎるのです。そこでトレンチさらに掘り下げて土の変化を調べてみました。
▲[画像4]地山を切り出して平坦面を造成したと考えられる土層
すると、古墳の北側で築造前の「地山」が検出されました。しかもそれは斜めに切り込まれた後に礫混じりの土で一気に埋まっていました。周溝を検出した「地山」はこの礫混じり層の上面だったのです。また別のトレンチでは、礫混じり層の下で岩盤が急激に西側へ落ち込んでいる状況もみることができました。つまり、もともと南と西へ傾斜していた地形を造成して、古墳の基礎をつくっていたのです。古墳づくりは石室や墳丘だけではないんですね。
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