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my weblog : 水入遺跡の発掘調査現場を訪ねて

6/12/2014

水入遺跡の発掘調査現場を訪ねて

Filed under: - palace @ 9:56 am

◎調査課の永井邦仁です。

 今年度最初の発掘調査現場は豊田市・水入遺跡です。遺構が検出されたという連絡を受け、早速訪問しました。
場所は豊田東インターチェンジ料金所のすぐ脇です。


【画像01:今年度の水入遺跡発掘調査区と豊田東I.C. 料金所(西から)】

 実は、このインターチェンジのほぼ全体が水入遺跡なのです。ですから構内には、こんな看板も立てられていす。

【画像02:水入遺跡の存在することを注意する看板】

 今を去ること15 年以上前の平成10・11 年度に、水入遺跡の発掘調査が約68,000 ㎡にわたって実施されまた。
埋蔵文化財センターの新人(!)だった私もこの調査に参加しました。後期旧石器時代に始まり、古墳時代や奈良時代の大溝や集落、鎌倉時代の墓域や戦国時代の区画溝および建物群など、さまざまな土地利用がなされた場所であったことが判明したのです。すぐ東側に矢作川が流れているので、川湊や渡河点的な性格が大きかったものと推察されます。

【画像03:平成11 年度の水入遺跡遠景(南から、★印が今年度調査地点)】
 
 さて思い出もそこそこに、調査区に入りましょう。遺構は江戸時代以降に頻発した矢作川洪水によって堆積した厚い砂層の下で検出されています。この砂層は、矢作川堤防と明治用水に囲まれた範囲が洪水時の遊水池になっていたために堆積したもので、「水入」とはそのことを示した通称なのです。ちなみに小字(こあざ)は西糟目と大屋敷です。私が訪ねた時は、その堆積層を測量しているところでした。

【画像04:今年度の水入遺跡調査区と地層の測量状況(南から)】

 砂層の下には碧海台地の面があります。この地点ではピットや土坑が検出されています。土坑からの出土遺物はなかったのですが、大きさと形状から、おそらく鎌倉時代から室町時代の墓だろうと思われます。こんな時にも、以前の調査での情報や経験が活きてくるのです。それでは調査速報をお楽しみに。


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