報告書の紹介No.02 清洲城下町遺跡XI- その1-
◎調査課の鈴木です。
今年の3月に報告書が刊行された『清洲城下町遺跡Ⅺ』の紹介をします。
全国でも有数の戦国時代から江戸時代初期にかけての都市遺跡です。清須城は、織田信長をはじめ織田信雄・豊臣秀次・福島正則・松平忠吉・徳川義直などが居城した城郭でした。
▲写真1 写真図版1上
右端中央の青いビニルシートが発掘調査区、左手中央の森が後期清須城本丸跡
『清洲城下町遺跡Ⅺ』で紹介した発掘調査は、県道助七西市場線の建設に伴うもので、清須城下町の南部に位置します。城下町期前期(1478 年〜1586 年)では堀を持つ武家屋敷群の南端部に相当し、後期(1586 年〜1610 年)では町屋であったことが明らかになりました。特に、16 世紀中頃以降では、金属製品生産に伴って排出される廃棄物が多く見つかっており、この付近で鍛冶屋や鋳物師が存在したことが予測されました。
▲写真2 写真図版4左上 11 区1面の遺構
(概ね16 世紀末〜17 世紀初頭)
金属製品生産に関わる遺構としては、炉跡や石埋設遺構、炭化物などを多量に含む土坑などがあります。これらは、それぞれ鍛冶炉や金床石、廃棄物捨て場であることが想定されました。このため、発掘調査の際に鍛冶炉や金床石の周辺では25cm 単位で床面の土壌を採取し、1mm メッシュのフルイで微細遺物を選別しました。
この結果、鍛造剥片(扁平な微小遺物)と粒状滓(球形の微小遺物)などが多く見つかりました。鍛造剥片と粒状滓は、ともに刃物などを作る鍛冶工程でできる微細な不純物です(鍛造剥片様遺物は鍛造剥片とは似て非なる遺物ですが、金属製品生産に関わる遺物であることに変わりはありません)。
▲写真4 石埋設遺構0508SP 周辺の鍛造剥片と粒状滓の分布( 第86 図)
上図は、石埋設遺構0508SP 周辺の床面の土壌を25cm 単位で採取し、各地点の鍛造剥片と粒状滓の出土量を示した図面です。これをみますと、石埋設遺構0508SP と0509SP から約50cm 離れた部分に鍛造剥片と粒状滓などがたくさん出土していることが分かります。埋設された石かあるいはその上に置かれた金床で熱せられた刃物がたたかれ、鍛冶作業が行われた様子を示しているように思われます。
▲写真5 炉跡0640SL 周辺の微細遺物の分布(第85 図)
一方、炉跡0640SL 周辺の床面の土壌を25cm 単位で採取し、各地点の微細遺物の出土量を示した図面です。これをみますと、周辺では全く鍛造剥片と粒状滓が見つかっていないことが分かります。
このように、発掘調査現場で採取された様々な資料を詳細に分析することにより、往時の金属生産の様子を知ることができるのです。室内の整理作業でも新しい発見があり、これらの成果も含めて報告書となっているのです。
関心のある方はぜひPDF をダウンロードして一度のぞいてみてください。内容は専門的で難しいかもしれませんが、現場作業の後はこういう調査をしているのだということが少しは垣間みることができるでしょう。
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