鹿乗川の橋と遺跡をめぐる(10)
◎調査課の永井邦仁です。
姫樋橋の位置には、鹿乗川にかかる樋があって、北東からのびる用水路がつながっていました。その用水路そのものか確証がないのですが、姫下遺跡06C区では江戸時代の溝(020SDなど)が検出されています。
ところで、06C区の旧河道では、黒色粘土層の中に木製品や流木が折り重なって堆積していました。画像はまだ調査開始当初のもので、木の一部が姿をあらわしつつあります。そしてその向こう側には捨てられた土器破片がベルトのようにのびているのが見えています。土器は、弥生時代後期から古墳時代前期のものですが、当時の川岸があった場所を示していると考えてよいでしょう。
この地点で、土器を川岸に捨てた人々の集落は、その後ろである旧河道南東側に想定されます。河道の両脇には、地理学的に自然堤防とよぶ微高地が一定範囲に広がっています。その微高地を選んで集落地としていたと考えられるのです。しかしながら画像にあるとおり、河道南東側では顕著な遺構は検出されませんでした。比較的古い時期に全体が削られてしまったようです。
▲画像03 姫下遺跡の旧河道と古墳時代集落の推定範囲(北から)
一方、河道の北西側(05A・05B区)では竪穴建物や掘立柱建物が検出されています。その範囲は05A区の南半部までで、そこから北側は、後背湿地とよぶ低い場所が広がっています。画像では集落のおおよその範囲を示しましたが、ここでも姫下橋(手前)、姫樋橋(奥)が台地と集落のある自然堤防をつなぐような位置関係にあるのが注目されます。
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