鹿乗川の橋と遺跡をめぐる(9)
◎調査課の永井邦仁です。
ついに姫樋橋(ひめといばし)に来ました!これを紹介したくて橋めぐりをしてきたようなものです。加美橋から北へ進むと小さな木橋に遭遇します。地元の方はおなじみでしょうが、平成18年度の冬、姫下遺跡06C区の調査時に初めてみたときは感動しました。歩くと、ゴトンギシときしむ音がちょっとスリルがありました。竣工は平成7年と記されていましたが、それ以前はどうだったのでしょうか?ご教示いただければと思います。
姫下遺跡06C区は、橋のすぐ東に位置していて、旧河道を調査しながら何度も渡っては木橋の感触を堪能したものですが、経年の痛みが各所にあったので少々心配な橋でした。その後しばらく立ち寄らない間に橋桁などが改修されて、今は安心して渡ることができます。
さて、名前の由来になった樋ですが、天保3年(1832)の小川村絵図には、鹿乗川の北東方向から引かれた用水路を、樋で川の西側へ越していることが記されています。この当時は、谷地形が残っていて水田になっており、谷奥には溜池もあったようですが、わざわざ樋をかけて用水を引き込んでいます。同様の樋は加美橋の南側にもあったようです。
さて、いつ鹿乗川が村絵図のように直線化されたのか?実はまだよくわかっていません。しかし姫下遺跡では、その旧河道の一部が検出されています。この河道は古墳時代後期にはほとんど埋もれてしまいますが、古墳時代前期には水があったようです。このようにかつての鹿乗川は、蛇行しさらにいくつかの河道に分かれていたと考えられます。姫下遺跡では河道の両岸に古墳時代前期の集落が展開し、その北西台地上に姫小川古墳が築かれる、という景観だったとみられます。
▲画像05 古墳時代前期の姫下遺跡(『姫下遺跡』調査報告書より作成)
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