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my weblog : 埋文展こぼれ話(その7)大鋸の登場

9/21/2012

埋文展こぼれ話(その7)大鋸の登場

Filed under: - palace @ 8:45 am

◎調査課の臨時調査員 うつけ博士です。

 現在、愛知県陶磁資料館では、9月30日まで埋蔵文化財展「戦国のあいち」展を開催しています。今回は「信長を生んだ戦国尾張」のコーナーの隠れた見所の紹介の第7回目で、この展示コーナーで最も迫力のある見せ場の「清須城本丸石垣の土台木」のお話をしたいと思います。

 「下津」から「清須」・「岩倉」・「小牧」を経て、初めて近世的な城郭に至った「後期清須城」では、城郭に石垣や瓦葺き建物が構築されました。特に、1996年度に発見された本丸の東端部の石垣は、最大で2m の高さに巨石が積まれていました(写真1)。本来はその倍くらいの高さにまで積み上げられていたのでしょう。

1996石垣
▲写真1:1996年度の調査で発見された石垣

 この石垣は、現在清洲公園の一角にある「清洲ふるさとやかた」の北東に移築復元されています。一部の石材は本来の石材とは別のものが使用されていますが、大部分は出土した石材がそのまま積まれていますので、機会があれば、ぜひご覧になってその大きさを実感してみてください。

復元石垣
▲写真2:移築復元された石垣

 さて、この後期清須城の石垣は、地盤が軟弱な沖積低地に作られたため、この地盤を補強するために井桁状に組まれた土台木が据えられていました。枕木となる土台木A類は上面の中央に浅い溝が設けられ、その溝の上に横木となる土台木B類がのっていました。横木が動かないように杭も設置されていました。
 土台木を固定した杭の7割以上は、水に強いアカマツが用いられていましたが、土台木本体の方は、モミ、ツガ、アカマツ、カバノキ、トチノキなど16種の木材が使用されていました。土台木は、長さが250cm 以上、最大幅が約30cm を測る大きな材木で、大木の丸太材を半分あるいは4分の1に分割して作られました。

土台木
▲写真3:土台木の出土状態

 材木を縦方向に分割するためには、古くはクサビなどを打ち込んで割る方法が用いられていましたが、16 世紀
くらいになると「大鋸(おが)」と呼ばれる縦挽きノコギリが使用されるようになったといわれています。清須城の土台木の表面を見ると、斜めに連続した切断痕がみられる面があり、この部分は縦挽きノコギリが用いられて製材していたことが分かります。

切断痕
▲写真4:土台木の表面(縦挽きノコギリによる切断痕)

切断痕拓本
▲写真5:土台木の表面(縦挽きノコギリによる切断痕)

 このように、後期清須城の本丸を造営する際には、大工道具にも新しい技術が導入されていたのです。「戦国のあいち」展では、縦挽きノコギリにより製材された土台木が展示されていますので、ぜひ、自分の目でじっくりと観察してみてください。(文責 鈴木正貴)



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