埋文展こぼれ話(その6)
◎調査課の臨時調査員 うつけ博士です。
現在、愛知県陶磁資料館では、9月30日まで埋蔵文化財展「戦国のあいち」展を開催しています。今回は「信長を生んだ戦国尾張」のコーナーの隠れた見所の紹介の第6回目で、前回と同様に「後期清須」の話題をしたいと思います。
「下津」から「清須」・「岩倉」・「小牧」を経て、初めて近世的な城郭に至った「後期清須城」では、城郭に石垣や瓦葺き建物が構築されました。特に、本丸や北の丸(北曲輪)を囲む堀からは、全部で10数トンにも及ぶ大量の瓦が出土しており、城郭には総瓦葺きの立派な建造物が建っていたことが想像されます。今回はこの瓦についてお話ししましょう。
後期清須城の建物は本瓦葺きの屋根でした。本瓦葺きとは丸瓦と平瓦の2種類を交互に並べて屋根面を作る葺き方のことです。軒先には文様を持つ軒丸瓦と軒平瓦が用いられ、文様の部分に金箔が施されたりしました。文様にはいくつかのパターンがあって、写真1の軒平瓦(H102型式)のように中心に桐が表現されたり、写真2の軒平瓦(H111型式)のように中心に3つの葉が表現されたりしました。
▲写真1:軒平瓦H102型式(桐紋に4反転均整唐草紋)の瓦当面の文様
▲写真2:軒平瓦H111型式(三子葉紋に3反転均整唐草紋)の瓦当面の文様
さて、今回注目したいのは写真2の軒平瓦H111型式です。この瓦は、右端の上面に土手のような突起があり、奥に向かい緩やかに蛇行しています(写真3と写真4)。この突起は「水返し(または水切り)」と呼ばれるもので、軒平瓦を斜めに葺いた時に側面から水があふれ出ないように工夫したものです(図1)。
普通に葺いた場合は「水返し」は無くても全く問題ありませんが、「水返し」があれば少々無茶な葺き方をしても大丈夫なわけです。おそらく「水返し」を持つ軒平瓦は屋根面の側面に当たる破風などに使用されたものでしょう(写真5)。
こうしたより装飾的な屋根を作ることを可能にした「水返し」を持つ軒平瓦は、清須城本丸から出土した軒平瓦全17種の中で5種類しか存在しません。破風などに使用された瓦は、限られた種類(軒先の文様)に絞られていたのです。
このように瓦を詳細に調べていくと、清須城の城郭建築が複雑な屋根構造を持ち、瓦も文様ごとに計画的に葺かれていったことが想定されるようになるのです。
「戦国のあいち」展では、結構立派な城郭建築があったと推測させる瓦群の一部が展示されていますので、ぜひ、自分の目でじっくりと観察してみてください。(文責 鈴木正貴)
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