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愛知県埋蔵文化財センター  - 公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団

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my weblog : 埋文展こぼれ話(その2)

7/25/2012

埋文展こぼれ話(その2)

Filed under: - palace @ 8:45 am

◎調査課の臨時調査員 うつけ博士です。

7月28日から9月30日まで愛知県陶磁資料館にて埋蔵文化財展「戦国のあいち」展を開催します。ここでは、その中の第1展示部門「信長を生んだ戦国尾張‐発掘された尾張守護所‐」の隠れた見所を紹介していますが、今回はその第2回目です。

尾張国の中心だった守護所「下津」(現在の稲沢市)は、応仁・文明の乱の余波を受け焼亡し、その後、守護所は清須と岩倉に分立しました。下津は、下津五日市を中心に商業活動が行われ、寺院が並んでいたと考えられていますが、下津五日市のそばには下津正眼寺(おりづしょうげんじ)という大寺院がありました。この正眼寺は応永元年(1394)に創建された曹洞宗のお寺で、現在は小牧市三ツ渕に移転しています。

硯
▲写真

写真は、清須(清洲城下町遺跡)から出土した石硯です。武家屋敷を囲む堀から見つかっているもので、下半が欠けてしまっていますが、硯の背面には「正眼寺 仏殿公 文」の文字が刻まれていました。ここにある「正眼寺」はどこのお寺だったのでしょうか。発見された20年以上前には、清須にあったとされる「誓願寺」のことを指すのではないかという説も出されましたが、どうも素直に下津正眼寺のことを指しているのではないかと考えた方がよさそうです。

守護所が下津から清須に移る際に、家臣の一人が下津ゆかりの品物を清須にもたらしたものなのかもしれません。

この刻書硯は実物を観察すると、もっとよく文字を読むことができます。7月28日から始まる「戦国のあいち」展でも展示されますので、ぜひ、自分の目で確かめてみてください。(文責 鈴木正貴)



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