埋文展こぼれ話(その1)
◎調査課の臨時調査員 うつけ博士です。
7月28日から9月30日まで愛知県陶磁資料館にて埋蔵文化財展「戦国のあいち」展を開催します。これから、しばらくの間、この「戦国のあいち」展の中で、第1展示部門「信長を生んだ戦国尾張‐発掘された尾張守護所‐」の隠れた見所を紹介していきたいと思います。
今回はその第1回目です。
織田信秀や織田信長が登場する以前の尾張国の中心は守護所「下津」(現在の稲沢市)にありました。この下津は、大きな寺院が並び、下津五日市を中心に商業活動が行われていたと推測されています。
写真は、下津(下津宿遺跡:以前は鎌倉街道周辺遺跡と呼んでいました)から出土した土師器皿です。この皿は、寺院跡を囲む堀のすぐ内側の場所で掘られた土坑790SKからまとまって出土したものです。
この皿は、白っぽい皿と、赤っぽい皿の、2つのタイプがあります。白い皿はロクロを挽いて作られたもので、最後に糸で粘土塊から切り離した痕跡が底部の外面に渦巻きのような文様として残っています。一方、赤い皿は底部の外面に渦巻きのような文様はなく、指または手の平などで押さえたりナデたりした痕跡が残っています。ロクロを使わない手づくねの皿と思われます。
このように土器の色で、形や作り方を使い分ける事例は、中世では時々確認されています。このような色分けが確認されることは、土師器皿が単純に日常に使われた食器というよりも、何らかの思いが込められているように感じられます。「紅白」なだけに祝い事に使われたのでしょうか? 想像するだけでも楽しくなりますね。
この赤と白の違いは実物を観察すると、もっとよく分かります。7月28日から始まる「戦国のあいち」展でも展示されますので、ぜひ、自分の目で確かめてみてください。(文責 鈴木正貴)
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