清洲城下町遺跡 調査速報 その3
調査課の鈴木正貴です。
この9月から清須市に所在する清洲城下町遺跡の発掘調査を行っており、現在は11B区の調査を終えて11C区の掘削を進めています。去る11月5日には、11B区の発掘調査の途中経過をみていただく地元説明会を開催いたしましたが、その11B区の調査がようやく一区切りつきましたので、今回はその概要を報告します。
11B区でも、11A区と同じように、結果的には4面の遺構面で発掘調査を行いました。
▲写真3-1
1面では、城下町期後期(16 世紀末〜17 世紀初頭)の町屋の遺構が確認されました(その様子は 現説資料 の遺構配置図をご覧下さい)。ほぼ南北方向に向く溝4条、井戸群、柱を穴に埋めて建てる掘立柱建物跡4棟、埋設された甕1基、埋設された巨石、焼土や炭化物が多く含まれるゴミ穴などが見つかりました。巨石は表面が摩耗したり、焼けたり、溶けた滓が付着したものがあり、金床石だったかも知れません。
▲写真3-2
2面では、城下町期前期後半〜後期(16 世紀中頃〜16 世紀末)の町屋の遺構が確認されました。屋敷の中には浅く地面を掘り凹めて床面が硬く整地された竪穴状遺構(たてあなじょういこう)が見つかっています。そこには炉跡などの遺構があり、鉄製品を加工する時に発生する鉄滓(てっさい)が出土しました。
▲写真3-3
3面では、町屋ができる前の城下町期前期(16 世紀前葉〜後葉)の遺構などが確認されました。中でも目立つのが、深さが1m 以上もある巨大な方形土坑群です。その目的は不明ですが、想像するに板で壁を保護して中で何らかの作業を行ったものでしょうか?炭化物や焼土や鉄滓が多量に出土する例もあります。巨大方形土坑群がない部分では、竪穴状遺構が分布していました。さらに少し前(16 世紀前葉)の遺構としては、溝が2条確認されました。
▲写真3-4
4面では、平安時代から城下町期前期(10 世紀〜16 世紀前半まで)を中心とした遺構や遺物が発見されました。巨大方形土坑群のために、古い時期の遺構はあまりよく残っていませんが、大溝が1条確認されました。
11B区では、11A区と同様に鉄滓が多量に出土していますが、それに加えて、金床石かも知れない埋設石、炉跡、炉跡を伴う竪穴状遺構、鋳型片など金属生産に関わる多様な遺構や遺物が確認されました。こうしたことから、少なくとも16 世紀中頃からこの地点ではさかんに金属生産が行われ、16 世紀後葉にはその職人が集住した町屋が存在したことが想定されます。清須城下町の鍛冶屋町があった可能性が高くなったといえましょう。
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