キジ山古墳群を歩く(6)
○調査課の永井邦仁です。
少し間があいてしまいましたが、暖かくなりましたので、古墳群歩きを再開しましょう。古墳群のある丘陵の山頂から西側に少し下ったところがKJ10C 区という調査区です。
伐採を終わった調査区では、古墳らしい地形は見当たらなかったのですが、表土はぎを終えて検出を始めると、調査区の端([画像3]の★印)で須恵器の破片がいくつも出てきたのです。
▲[画像3] 遺構検出中のKJ10C 区(★印地点で須恵器が出土)
出土した須恵器は、フラスコ瓶と呼ぶ長頸瓶や口の広い短頸壺でした。その後出土地点を掘削すると、横穴式石室の入口付近の墓道にあたることがわかりました。須恵器の年代は7 世紀後半であり、石室もその頃に造られたと予想しました。
ところが、須恵器出土地点の北側で検出された横穴式石室は、天井石がほとんどなくなり、側壁も大きく崩れてしまっていましたが、7 世紀後半よりももっと古い形態であると考えられたのです。そこで石室内の遺物を求めて詳細に土を調べることになりました。
▲[画像5]KJ10C 区018SZ の石室内側壁崩落状況(南から)
すると、石室内から2 点の耳環と、7 世紀初頭までさかのぼる須恵器の蓋が出土したのです。耳環は細く小さなものでこれも6 世紀末から7 世紀前半と推測されます。このことから、石室が造られたのは7 世紀初めから前半と考え、墓道で出土した須恵器は、後に行われた祭祀に関係するものと考えられます。
▲[画像7]]KJ10C 区018SZ の石室完掘状況(南から)
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