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2005年09月02日

鎌倉街道周辺遺跡 02

(かまくらかいどうしゅうへんいせき:稲沢市下津新町 北緯35度15分21秒,東経136度49分34秒)

C2EKMgif 鎌倉街道周辺遺跡(かまくらかいどうしゅうへんいせき)は、稲沢市の東部にある遺跡で、今回の調査は下津新町で行っています。これまでの発掘調査の結果、古墳時代から江戸時代までの遺構や遺物が確認されています。現在は05A区の調査が進み、最終段階になってきています。


C2EKM005.jpg●05A区1面全景

この面では、江戸時代の岐阜街道脇の屋敷に関連する遺構や、室町時代の溝で囲まれた屋敷地などが確認されました。
 江戸時代から近代にかけては井戸が3基、南北方向の溝が2本、性格が分からないだるま状の遺構が1基発見されました。井戸は全て一番下の部分で結桶(ゆいおけ)の井戸側が用いられていたことが分かりました。下津新町の岐阜街道沿いの集落が19世紀前半頃に営まれ始めたようです。
 一方、室町時代では、溝はほぼ東西南北を向く方向に伸びるものと、斜めに走るものの両者があり、斜めに走る溝の方が新しいと考えられます。両方の溝とも、それぞれ同じ方向を向く掘立柱建物跡が確認されていることから、溝は屋敷を囲んでいたものと考えられます。


C2EKM006.jpg●05B区 2面全景

  この面では、鎌倉時代の溝で囲まれた屋敷地などが確認されました。
 ほぼ東西方向に走る溝からは、12世紀代の山茶碗などが多数出土しました。調査区の南側では、焼土や炭化物と共に焼骨片が出土した土坑が1基あり、これは火葬施設の可能性が考えられます。



C2EKM007.jpg●05A区 堀立柱建物


奈良時代では、竪穴住居跡と掘立柱建物跡などが確認されました。

 掘立柱建物跡は2間×3間の総柱建物で倉庫と考えられます。この建物跡は重複する形で検出されており、少なくとも2回建て直されたものと思われます。一部の柱穴には柱に使用された材木(柱根)が残っていました。遺構の重なり具合やわずかに柱穴から出土した遺物からみて、8世紀のものと推測されます。

 掘立柱建物跡の東側(B区)には、同時期の竪穴住居跡が広がっていることが分かっています。したがって、掘立柱建物跡はこの竪穴住居跡が広がる集落の倉庫として使用されていたことが考えられます。



C2EKM008.jpg●05A区 3面の遺構 竪穴住居跡


 05A区では、掘立柱建物跡ばかりではなく、竪穴住居跡なども発見されています。

 05A区で確認された竪穴住居跡は7世紀後半に位置づけられるものが多く、掘立柱建物跡よりも先行して建てられたようです。

投稿者 maibun : 2005年09月02日 10:15