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2012年1月20日(金曜日)

岡山南遺跡 調査速報 その3

カテゴリー: - palace @ 08時45分00秒

調査課の池本です。

 岡山南遺跡の調査の続報です。前回は奈良・平安の遺構を紹介しましたが、今回はその下層に展開している古墳時代の遺構と江戸時代以前に存在した旧河道を紹介します。
 古墳時代の遺構も奈良・平安時代の遺構と同様に土坑や溝などが散在しているにすぎません。写真1は調査区の西側から古墳時代の遺構の検出状況を撮影したものです。調査区を横切る溝が数条確認できます。写真の中央近くで検出した土坑からは、古墳時代前期の壷も出土しました(写真2)。

B区全景
▲写真1 B区第3遺構面検出(東から)

 写真1の調査区上方で検出面が白くなっている部分は旧河道です。実は奈良・平安時代の面でも確認できていたのですが、作業の都合上古墳時代の遺構と同時に掘削することにしました。この旧河道は江戸時代には完全に埋没しており、上から遺構が掘り込まれていますので、それ以前に存在していた事になります。
詳細は現在調査中です。

出土遺物
▲写真2 土器出土状況

 これまで紹介してきた内容を中心として、1月28日(土)に地元説明会を開催します。詳細は こちら をご覧下さい。


2012年1月19日(木曜日)

清洲城下町遺跡 調査速報 その4

カテゴリー: - palace @ 08時45分00秒

調査課の鈴木正貴です。

 昨年9月から開始した清須市に所在する清洲城下町遺跡の発掘調査は、12月中にほぼ終了することができました。今年度は本丸から南へ約600mの地点で、県道建設工事に先立って1610㎡の面積を3調査区に分けて行いました。これまでに11A区と11B区の成果を紹介してきましたので、今回は最後に実施した11C区の調査成果を簡単に報告します。

 11C区では、1面で城下町期前期末〜後期(16世紀後葉〜17世紀初頭)、2面で城下町期前期後半(16世紀中葉〜16世紀後葉)、3面で奈良時代〜城下町期前期(8世紀〜16世紀前半)を中心とした遺構や遺物が発見されました。

写真1
▲<写真1>

 11C区1面では、炭化物などがたくさん含まれた土坑群、巨大な方形土坑、竪穴状遺構など城下町期後期を中心とした遺構が見つかりました。特に、北西部で確認された竪穴状遺構では炉跡と思われる焼土や大小さまざまな穴や溝が確認されました。金属生産に伴う鉄滓などが伴うことから、この炉跡は「鍛冶炉」、脇にある穴は「ふいご」の跡地であった可能性が考えられます。屋敷割などは分かりませんでしたが、11A区や11B区と同様に、城下町期の鍛冶屋町の一部であったと推測されます。
写真2
▲<写真2>

 11C区2面では、城下町期前期後半(16世紀中葉〜16世紀後葉)の金属生産に関連する遺構が見つかりました。特に、壁に白っぽい粘土を貼り付けた施設が発見され、その南隣には炭がたくさん溜まった穴が確認されました。鋳型のような破片が出土したので、金属生産の中でも鋳造(鋳物)を行っていた可能性が考えられます。
写真3
▲<写真3>

 11C区3面では、奈良時代〜平安時代(8世紀〜10世紀)の竪穴建物跡、鎌倉時代〜室町時代(13世紀〜14世紀)の屋敷を囲む溝や方形の木組み井戸、城下町期前期前葉(15世紀末〜16世紀前半)の堀、城下町期前期後葉(16世紀中頃)の井戸や大型土坑など、さまざまな時代の遺構がみつかりました。この地点では、古くから人々が生活していたことが分かりました。下の写真は方形の木組み井戸の下部の様子です。
写真4
▲<写真4>


2012年1月12日(木曜日)

岡山南遺跡 調査速報 その2

カテゴリー: - palace @ 08時45分00秒

調査課の池本です。

 岡山南遺跡の調査の続報です。前回は江戸時代の遺構を紹介しましたが、今回はその下層で確認された奈良時代・平安時代の遺構を紹介します。

 土坑や溝などが散在しているにすぎませんが、奈良時代後半頃の竪穴建物1棟を検出しました。全景写真の左側に写っています。この建物は平面形が一辺5メートル程度の隅丸正方形で、北側にはカマドが設置されていた痕跡も確認できました。調査区のさらに北側に、この時代の集落遺跡が展開しているのかも知れません。

B区全景
▲B区第2面全景(西から)

竪穴建物
▲B区 竪穴建物


2012年1月6日(金曜日)

平成23年度 埋蔵文化財展のお知らせ

カテゴリー: - palace @ 10時00分00秒

ケヤキが語る2000年
-弥生・古墳時代の木の文化-

開催日時:2012年1月28日[土]~3月4日[日]
開催場所:豊田市郷土資料館
休館日●毎週月曜日
開館時間●午前9時から午後5時
観覧料●入場無料
主催●愛知県教育委員会、豊田市教育委員会、(公益)愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター

 プラスティック製品が急速に普及する一九六○年代より以前には、私たちの生活に関わる、ありとあらゆる分野に木製品が使われていました。これら木の道具は、用途によって使われる木の種類が異なっています。このように適材適所の木材利用は、今から二千年以上前の弥生時代には既に完成されており、まさに『日本文化=木の文化』といわれる所以となっています。
 また、人の手が加わった、いわゆる里山も弥生時代にできあがりました。そして、この里山を維持・管理することによって日常の生活材や燃料材を得ることができ、ひいては継続可能で安定した社会(生活)を営むことができるようになったのです。
 愛知県埋蔵文化財センターでは、これまで朝日遺跡をはじめとする数多くの遺跡で、大量の木製品を発掘調査し、その保存処理を行ってきました。これらの木製品には、原木・各種未成品から完成品まで、まさに木の文化を示す多種多様なものが認められます。
 本展示会では、主に弥生・古墳時代の木製品を通じて、当時の人々と木の関わり、そして、これからの社会のあり方についても考えてみたいと思います。

 詳細は、ちらし ポスター をご覧ください。

<<関連事業>>

●埋蔵文化財講演会「木の道具の効果を調べる」

日時: 2月12日[日]午後2時~4時
講師: 山田昌久先生(首都大学東京 教授)
会場:豊田市崇化館交流館 2階大会議室
 *埋蔵文化財展の会場とは異なります。
  豊田市崇化館交流館
   〒471-0079 愛知県豊田市昭和町2-46
   TEL. 0565-33-0750  FAX.0565-33-0760

●埋蔵文化財講座  各回ともに午後2時~3時
 1月29日[日] 「農工具の変遷」 樋上 昇(愛知県埋蔵文化財センター)
 2月 5日[日] 「最近の発掘調査の成果より -弥生・古墳-」キジ山古墳群 晴雲寺址・石座神社遺跡・車塚遺跡
         永井邦仁(愛知県埋蔵文化財センター)・早野浩二(同)・池本正明(同)
 2月19日[日] 「ハレの木製品」 樋上 昇(愛知県埋蔵文化財センター)
 2月26日[日] 「最近の発掘調査の成果より-豊田市内-」 寺部遺跡・矢作川河床埋没林
         高橋健太郎(豊田市教育委員会)・ 杉浦裕幸(同)
 3月 4日[日] 「木製品からみた尾張・三河の古植生」 樋上 昇(愛知県埋蔵文化財センター)

●ワークショップ 会期中の毎週土曜日 午前10時~12時・午後1時~3時
 1月28日[土]    本川遺跡の鳥形をつくって飾ろう!
 2月 4日[土]    顕微鏡で木の組織を見てみよう!
 2月11日[土] 午前 木を割ってみよう、削ってみよう!
 2月11日[土] 午後 弓の発射実験!スピードガン競争!
 2月18日[土]    原始機で布を織ってみよう!
 2月25日[土]    木のクワで土を掘ってみよう!

[交通]
豊田市郷土資料館
 〒471-0079 愛知県豊田市陣中町1の21
TEL. 0565-32-6561  FAX.0565-34-0095
http://www.toyota-rekihaku.com
・名鉄梅坪駅より南へ徒歩15分
・名鉄豊田市駅より北へ徒歩15分
・とよたおいでんバス「陣中町一丁目」下車 徒歩5分
・東名豊田インターより自動車約15分


2012年1月4日(水曜日)

岡山南遺跡 調査速報 その1

カテゴリー: - palace @ 08時45分00秒

調査課の池本です。

 12月から西尾市吉良町に所在する岡山南遺跡の調査を開始しました。二つの調査区に分割して実施する計画で、現在は北側のB区の調査を中心としています。開始直後なのでまだ詳細な状況は明らかではありませんが、江戸時代と奈良・平安時代と古墳時代の三つの時期の遺構が確認されると考えています。

 写真は江戸時代を中心とする遺構面の全景です。浅い溝に区画された空間が確認でき、井戸が掘削されていた様です。中央に並ぶ三つの長方形の掘り込みは県教育委員会による試掘痕ですが、手前の試掘坑からは当該期の井戸が確認されています。

全景
▲B区 第1面 全景

井戸
▲B区 井戸2


2011年12月26日(月曜日)

惣作遺跡 調査速報 その1

カテゴリー: - palace @ 10時07分33秒

調査課の永井邦仁です。

 安城市・惣作遺跡での発掘調査は、11A 区での調査が大詰めを迎えています。調査地点は、これまで鹿乗川と用水路の間となっていた「中堤」と呼ばれる箇所です。まさに川の真横ですから、「こんな所に遺跡が?」と思われるかもしれませんが、鹿乗川が現在の流路になったのはそう古いことではなかったらしく、11A 区では古代の集落や中世の水田が遺構として検出されています。

古代
▲古代の集落遺構検出面(白線は画像加工しています)

 奈良時代以前には、流路が遺跡の中をほぼ東西方向に走っていたことがこれまでの調査で判明しています。つまりこの付近で川は大きく蛇行していたとみられます。11A 区では、その流路北岸の自然堤防(砂が堆積した微高地)上で複数の竪穴建物跡を検出しました。時期は奈良時代から平安時代前期(8 〜 9 世紀)と考えられます。

中世
▲中世の水田遺構検出面(白線は画像加工しています)

 平安時代中期以降は集落がなくなりますが、その後、自然堤防北側の湿地帯を中心に水田が営まれたとみられ、黒色粘土層の中で畦畔状の遺構が検出されています。その少し上から灰釉陶器や山茶碗が出土しているので、時期は平安時代後期から中世前半と考えられます。

近世
▲近世の遺構検出面

 黒色粘土層の上には厚い青灰色粘土層が堆積しています。遺物はわずかですが、近世の陶磁器や漆椀が出土しており、江戸時代には鹿乗川が現在の流路となって周辺の堆積が進んだものと考えられます。その川辺で竹や木杭を打ち込んだり大きな穴を掘って再び埋め戻した跡が確認されています。

 ところで、古代以前の流路について、11A 区でもその一部が検出されています。ここからは木製品の出土も期待されますが、調査は年明けから再開する予定です。


2011年12月9日(金曜日)

清洲城下町遺跡 調査速報 その3

カテゴリー: - palace @ 08時45分00秒

調査課の鈴木正貴です。

 この9月から清須市に所在する清洲城下町遺跡の発掘調査を行っており、現在は11B区の調査を終えて11C区の掘削を進めています。去る11月5日には、11B区の発掘調査の途中経過をみていただく地元説明会を開催いたしましたが、その11B区の調査がようやく一区切りつきましたので、今回はその概要を報告します。

11B区でも、11A区と同じように、結果的には4面の遺構面で発掘調査を行いました。

3-1
▲写真3-1
 1面では、城下町期後期(16 世紀末〜17 世紀初頭)の町屋の遺構が確認されました(その様子は 現説資料 の遺構配置図をご覧下さい)。ほぼ南北方向に向く溝4条、井戸群、柱を穴に埋めて建てる掘立柱建物跡4棟、埋設された甕1基、埋設された巨石、焼土や炭化物が多く含まれるゴミ穴などが見つかりました。巨石は表面が摩耗したり、焼けたり、溶けた滓が付着したものがあり、金床石だったかも知れません。

3-2
▲写真3-2
 2面では、城下町期前期後半〜後期(16 世紀中頃〜16 世紀末)の町屋の遺構が確認されました。屋敷の中には浅く地面を掘り凹めて床面が硬く整地された竪穴状遺構(たてあなじょういこう)が見つかっています。そこには炉跡などの遺構があり、鉄製品を加工する時に発生する鉄滓(てっさい)が出土しました。

3-3
▲写真3-3
 3面では、町屋ができる前の城下町期前期(16 世紀前葉〜後葉)の遺構などが確認されました。中でも目立つのが、深さが1m 以上もある巨大な方形土坑群です。その目的は不明ですが、想像するに板で壁を保護して中で何らかの作業を行ったものでしょうか?炭化物や焼土や鉄滓が多量に出土する例もあります。巨大方形土坑群がない部分では、竪穴状遺構が分布していました。さらに少し前(16 世紀前葉)の遺構としては、溝が2条確認されました。

3-4
▲写真3-4
 4面では、平安時代から城下町期前期(10 世紀〜16 世紀前半まで)を中心とした遺構や遺物が発見されました。巨大方形土坑群のために、古い時期の遺構はあまりよく残っていませんが、大溝が1条確認されました。

 11B区では、11A区と同様に鉄滓が多量に出土していますが、それに加えて、金床石かも知れない埋設石、炉跡、炉跡を伴う竪穴状遺構、鋳型片など金属生産に関わる多様な遺構や遺物が確認されました。こうしたことから、少なくとも16 世紀中頃からこの地点ではさかんに金属生産が行われ、16 世紀後葉にはその職人が集住した町屋が存在したことが想定されます。清須城下町の鍛冶屋町があった可能性が高くなったといえましょう。


2011年12月7日(水曜日)

大平本城跡 調査速報 その4

カテゴリー: - palace @ 08時45分00秒

 調査課の池本です。

 先日大平本城跡の調査が終了しました。
 前回は調査で二本の土塁に挟まれた平坦面が確認できた事を紹介しました。調査の終盤でこれを断ち割った結果、谷側の一部に整地層が観察できました。今回確認できた平坦面は、山側では自然の斜面をある程度削り込んで面積を得ながら壁面を切岸とし、たぶんその時の排土を谷側に積むことでこれをさらに拡張したものと考えられます。整地層の下からは16 世紀後半に属する擂鉢片が出土しています。

整地層
▲整地層

 調査終了後の12 月3 日(土)には、成果報告会を開催しました。参加者は地元の方々を中心に40 名でした。どうもありがとうございました。説明会の資料は こちらからダウンロードできます。

説明会1
▲説明会

パネル
▲パネル等の展示


2011年12月5日(月曜日)

鹿乗川の橋と遺跡をめぐる(3)

カテゴリー: - palace @ 08時45分00秒

調査課の永井邦仁です。

 岩根上橋から鹿乗川の西岸、碧海台地の縁を北へのびる砂利道を行くと、巨大な橋とパイプラインが頭上を横切る地点にたどり着きます。これが、県道292号石井幸田線の岩根橋です。この橋が架かる以前は、江戸時代の村絵図をみても橋はなかったようです。この点で、先に紹介した2つの橋とは事情が違うようです。

岩根橋
▲県道岩根橋とパイプライン

 この橋の真下には五反田遺跡があり、振り返って台地上には加美遺跡があります。加美遺跡は、県道建設工事に先立って当センターが昭和63年度に発掘調査をした遺跡です。古代・中世の集落と中世の墓が検出されています。

遺跡
▲県道岩根橋と五反田遺跡・加美遺跡(★印の地点で周溝墓検出)

 一方、五反田遺跡は平成22年度に当センターが発掘調査しましたが、古代・中世は溝が検出された程度で、明確な建物跡はみられませんでした。しかし、それをさかのぼる弥生時代末期から古墳時代初めの時期に、5基以上の方形周溝墓がつくられていたことが判明しました。勾玉などの副葬品も出土しています。

五反田遺跡
▲五反田遺跡10A区の方形周溝墓群(地元説明会資料より)

 興味深いのは、加美遺跡の東端でも方形周溝墓が2基みつかっていることです。こちらは弥生時代中期後葉とされているので、五反田遺跡の方形周溝墓より古い時期となります。ただし両遺跡ともに、同時期の集落遺構は検出されておらず、弥生時代を通じて墓場となっていた可能性が考えられます。

加美遺跡
▲加美遺跡の方形周溝墓(報告書より再構成)

 ちょうどその頃の川の流路は、五反田遺跡の東側を廻っており、台地縁から沖積地までが連続する地形だったと考えられます。このような地形環境が、遺跡の展開や現・鹿乗川流路に架かる橋の有無に関係しているのかもしれません。


2011年11月25日(金曜日)

大平本城跡 調査速報 その3

カテゴリー: - palace @ 09時00分00秒

 調査課の池本です。

 大平本城跡の調査も終盤にさしかかりました。
 先日、二分割した調査区のもう片方の写真撮影が終了しました。写真1は今回撮影したB区の全景です。調査区左側隅に土塁が写っています。前回紹介した土塁とは別の遺構で、調査区外に写っている小山状の盛り上がりに続くものと考えられます。土塁の下方には平坦面が確認できました。前回紹介した調査区(A区)の下段平坦面に続くものです。

大平本城
▲調査区

 出土遺物はやはり16世紀頃が主体です。代表的な資料として写真2に天目茶椀の出土状況を掲載します。

遺物
▲出土遺物

 以上の様に、今回の調査では大平本城に伴う二本の土塁に挟まれた平坦面を確認できました。こうした内容を中心として、調査終了後の12月3日(土)に成果報告会を開催します。詳細は こちら をご覧下さい。


2011年11月17日(木曜日)

鹿乗川の橋と遺跡をめぐる(2)

カテゴリー: - palace @ 13時32分35秒

 調査課の永井邦仁です。

 鹿乗川の橋と遺跡を散策する、第2回目は寺領橋の北約200mにある岩根上橋です。岩根上橋も新しい橋へ作り替える工事が間もなく始まります。現在の岩根橋は、1966年(昭和41)に改築・完成した自動車1台分の幅しかない橋です。

岩根上橋
▲岩根上橋

 この橋も江戸時代後期の村絵図に描かれていますので、岩根橋同様に古くからある橋だと思われるのですが、惣作遺跡の中心には位置していません。しかし平成21年度に行われたセンターの発掘調査で、興味深い事実が明らかになったのです。

地形
▲惣作遺跡の地形と橋の位置関係

 それは、惣作遺跡の中心と考えられていた、寺領橋・岩根橋付近にある自然堤防(沖積地にできた微高地のこと)とは別の自然堤防の存在が明らかになったことです。発掘調査では09C区北部に該当し、奈良時代の竪穴建物や平安時代の柱列や墨書土器が検出されました。

惣作
▲平成21年度の惣作遺跡09C区

 こうしてみると、ある意味で岩根上橋も集落遺跡の中心に架かっているといえるでしょう。いよいよ古い橋の位置が重要になってきました。

 次回は県道幸田石井線の岩根橋です。


2011年11月10日(木曜日)

大平本城跡 調査速報 その2

カテゴリー: - palace @ 10時37分26秒

 調査課の池本です。

 大平本城跡の調査も中盤にさしかかりました。
 先日、二分割した調査区の片方の航空写真撮影が終了しました。写真は調査区の全景です。右側に土塁、その左側に幾つかの平坦部が写っています。土塁は大平本城に関わる遺構と考えられます。左側の平坦面も大平城の時期に存在していた可能性が高いですが、下段からは近世の土坑が検出できましたし、戦後には畑地として利用されていた様ですから、もう少し検討を加えたいと考えています。
 出土遺物は多量ではありませんが、16世紀に入る資料が主体となっております。

大平本城
▲調査区遠景


2011年11月8日(火曜日)

鹿乗川の橋と遺跡をめぐる(1)

カテゴリー: - palace @ 10時33分00秒

 調査課の永井邦仁です。

 遺跡散策をするにはちょうどよい季節となりました。私が担当する、鹿乗川流域にある安城市惣作遺跡でも発掘調査が開始されましたが、調査をしていない時に遺跡を訪ねようとしても、田畑ばかりでその場所がわかりにくい、というお話をよく聞きます。
 そんな時に目標にしていただきたいのが、鹿乗川にかかる橋です。というのも、これまで当センターが発掘調査してきた鹿乗川流域の遺跡は、いずれも橋のある地点を中心に広がっているからなのです。
 それでは鹿乗川の橋を訪ねながら、そこにある遺跡に出会う散策に出かけましょう。惣作遺跡から北へさかのぼっていくことにします。

寺領橋
▲寺領橋(仮設橋)と惣作遺跡(平成21年度調査時)

 安城市木戸町にある寺領橋は、現在工事中で間もなく新しい橋が完成するようです。自動車が行き交うこの橋は、まさに惣作遺跡の中心部分にあたります。惣作遺跡では、数次の発掘調査によって弥生時代中期や奈良・平安時代の集落が検出されています。

岩根橋
▲岩根橋(現在は通行できません)

 寺領橋の北側に岩根橋という1933年(昭和8)に造られた古くて小さな橋がありますが、そのあたりで川の跡が発掘され、奈良時代の木簡が出土しています。木簡には「呉部足国」という人名も記されていました。寺領橋から南西方向の寺領町内には、寺領廃寺という古代寺院跡があり、そことの関連も注目されます。

予定地
▲惣作遺跡08A区と今年度調査予定地(★印)(平成20年度調査時)

 また、寺領橋の東側あたりが沖積地の高まりになっていたと考えられる場所で、そこを中心とする半径約40mの範囲に弥生時代集落が展開していたとみられます。

 次回は岩根上橋から下懸橋を訪ねてみましょう。
 


2011年10月28日(金曜日)

清洲城下町遺跡 調査速報 その2

カテゴリー: - palace @ 09時30分00秒

 調査課の鈴木正貴です。
この9月から清須市に所在する清洲城下町遺跡の発掘調査を行っており、現在は11 A区の調査を終えて11 B区の掘削を進めています。そこで、昨年度と今年度11 A区の調査成果を中心に解説し、11 B区の発掘調査の途中経過をみていただく地元説明会を11月5日午前11時から開催いたします。多数のご参加をお待ちしております。詳細は、 こちら をご覧ください。

 さて、その11 A区では、3面で城下町期前期後葉から後期(16 世紀中葉〜16 世紀後葉まで)、4面で平安時代から城下町期前期(10 世紀〜16 世紀前半まで)を中心とした遺構や遺物が発見されました。写真は11A区の4面遺構全体の様子です。

11A全景
▲11A区 4面

 城下町期前期後葉では大型の穴がたくさん見つかりました。前回報告いたしました2面と同様に、炭を多く含む大型の穴(土坑)が広がっていて、そこには産業廃棄物が投棄されたものでしょうか、その中からは鍛冶作業の際に発生する鉄滓(てっさい)などが出土したものもあります。この付近に鍛冶屋さんがいたことが推測されます。また、井戸がおおよそ東西方向に並ぶ形でたくさん発見されています。この状況からみて、道路に面して軒を連ねた町屋が広がっていたものと推測されます。これらの遺構は天正地震(1586 年発生)による液状化現象(噴砂)の前に作られていたことが分かり、織田信雄による大改修の前から町屋であったことが想定されます。平安時代(10 世紀〜11 世紀)の遺構としては、浅い方形の穴を掘って建てる竪穴建物跡が発見されました。ここで古くから人々が生活していたようです。

噴砂
▲噴砂


2011年10月19日(水曜日)

大平本城跡 調査速報 その1

カテゴリー: - palace @ 10時03分56秒

 調査課の池本です。
 大平本城跡の調査を開始しました。
 この遺跡は、豊田市北部の大平町(旧小原村、平成17(2005) 年に豊田市と合併)に位置しております。『小原村誌』には、大内下総守久政の居城で文正元(1466)年に松平信光の攻撃により落城したと紹介されています。今回の調査区は、大平本城跡の西側部分に該当し、現在は表土を除去している段階です。
 写真は調査区を南西から眺めたもので、中央にオレンジ色のフェンスに囲まれた調査区、大平本城の中心部分は写真右端部分に写っています。写真左には大平姫城の名で知られる城跡があります。大平本城も大平姫城も現状では詳細な情報がありませんが、位置関係からこれらが一体の城として機能していた事も推定されています。

11遠景
▲調査区遠景


2011年10月6日(木曜日)

清洲城下町遺跡 調査速報 その1

カテゴリー: - palace @ 09時58分46秒

調査課の鈴木正貴です。
 清須市に所在する清洲城下町遺跡は、全国でも有数の戦国時代から江戸時代初期にかけての都市遺跡です。清須城は、織田信長をはじめ織田信雄・豊臣秀次・福島正則・松平忠吉・徳川義直などが居城した城郭でした。
 今年度は本丸から南へ約600mの地点で、県道建設工事に先立って1610㎡の面積を平成23年9月から発掘調査を行っております。調査は3調査区に分けて行い、現在は11A区の掘削を進めています。

11A全景
▲調査区全景(東から)

 11 A区では、1面で城下町期後期(17 世紀初頭くらい)〜宿場町期(江戸時代全般)、2面で城下町期後期(16世紀後葉〜 17 世紀初頭)を中心とした遺構や遺物が発見されました。写真は11 A区の1面遺構全体の様子です。

11A
▲11A区

 城下町期後期では、根石を持つ掘立柱建物跡や井戸、ゴミ穴などが発見されました。ゴミ穴は炭化物を多量に含むものが多く、密集して繰り返し掘削されていたようです。遺構の配置からみて、武家屋敷というよりは町屋があったと推定され、ゴミ穴はそこに住んだ職人?たちが廃棄したものかもしれません。

調査
▲発掘調査の様子

遺物
▲遺物出土状況

 宿場町期では、調査地点が美濃街道からやや離れた場所であるため、あまり遺構は多くありませんでした。井戸や埋設された甕・ゴミ穴などがわずかにあり、屋敷裏の様子を示しているようです。
 今後は11 A区のさらに下層の様子を探り、終わり次第11 B区・11 C区へ進む予定です。


2011年9月5日(月曜日)

寄島遺跡 調査速報 その3

カテゴリー: - palace @ 16時01分58秒

調査課の永井邦仁です。

安城市小川町に所在する寄島遺跡では、11A調査区で、古墳の周溝の一部と考えられる溝とその屈曲部を検出しました。本調査区の北側では、以前の発掘調査(平成19年度、07C調査区)でもL字形に屈曲する溝を検出しており、その続き部分に該当します。屈曲部間の長さをもとにすると、一辺が約20mの方墳もしくは前方後方墳の後方部の可能性が考えられます。出土遺物から古墳時代前期と推定されます。

11A全景
▲北側からみた寄島遺跡11A区全景(白線を表示したところが古墳周溝と考えられる溝)

ところで、8月18日には県立熱田高校の皆さんが、11C調査区で自然流路(川)の発掘調査を体験されました。流路から出土した木材を使って炭素年代測定に挑戦されるとのことです。結果が楽しみですね。

高校生
▲発掘調査を体験された熱田高校の皆さん

次いで、8月20日はあいにくの雨模様でしたが、地元説明会を開催しました。古墳や竪穴建物などを解説し、出土した土器片を手にとって観察していただくことができました。

地元説明会
▲地元説明会遺物展示場での解説

さらに8月22日には、鹿乗川改修工事に関わる県・市の担当者や施工業者の皆さんが研修のために来場されました。遺構検出の方法や土器の使い方など、熱心なご質問を多数いただきました。

工事関係者
▲鹿乗川改修工事関係者の皆さんの研修

この間暑い日が続きましたが、ご来場いただきありがとうございました。発掘調査は間もなく終了します。


2011年8月23日(火曜日)

東下地遺跡(豊橋市) 地元説明会のお知らせ

カテゴリー: - palace @ 09時00分00秒

 日頃は、埋蔵文化財の発掘調査につきまして、ご理解とご協力をいただき、厚くお礼申し上げます。このたび、豊橋市石巻本町で発掘調査中の東下地遺跡において、地元説明会を下記の通り実施することになりましたのでご案内申し上げます。
 今回の発掘調査により鎌倉時代から戦国時代の集落が見つかりました。

 日 時  平成23年9月3日(土)午前11時から 雨天中止(小雨決行)
 場 所  豊橋市石巻本町  東下地遺跡調査区
 内 容  調査成果の説明、出土品の展示
 主 催  (公益)愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター(調査課)
       電話 0567-67-4163
 交通手段 豊鉄バス 「坂上」下車 徒歩3分(和田辻東・嵩山・四ッ谷 行き)

地図
▲会場付近

 問い合わせ先  東下地詰所
       豊橋市石巻本町東下地 電話0532-88-4043(担当 永井・川添)


2011年8月20日(土曜日)

車塚遺跡 調査速報 その4

カテゴリー: - palace @ 15時00分00秒

◎調査課の池本です。

 8 月7 日に車塚遺跡の地元説明会を開催しました。
当日は、弥生時代終末期に属するCa 区の方形周溝墓群とA 区の竪穴建物群を中心に案内しました。
暑い一日でしたが、近隣にお住まいの方々を中心とした65 名の方々にご参加いただけました。ありがとうございました。
説明会
▲説明会の風景


2011年8月8日(月曜日)

寄島遺跡 地元説明会のお知らせ

カテゴリー: - palace @ 09時32分38秒

 日頃は、埋蔵文化財の発掘調査につきまして、ご理解とご協力をいただき、厚くお礼申し上げます。このたび、安城市小川町で発掘調査中の寄島遺跡において、地元説明会を下記の通り実施することになりましたのでご案内申し上げます。
 寄島遺跡では、古墳時代の初め頃にいとなまれた集落の遺跡が発掘され、当時、川に囲まれた島のような場所に、竪穴建物や周溝墓のあったことが確認されました。また、川の跡もみつかり、土師器のつぼやかめなどが川岸で出土しました。

 日 時  平成23年8月20日(土)午前11時から 雨天中止(小雨決行)
 場 所  安城市小川町 寄島遺跡調査区
 内 容  調査成果の説明、出土品の展示
 主 催  (公益)愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター
       電話 0567-67-4163
 交通手段 名鉄西尾線 桜井駅下車 徒歩25 分

竪穴住居▲会場付近

 問い合わせ先  安城詰所
       安城市小川町上太田  電話 080-1571-4990(担当:永井)


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