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2010年9月10日(金曜日)

埋蔵文化財講演会

カテゴリー: - palace @ 05時57分24秒


平成22年度 埋蔵文化財展
1000年前のハローワーク
見て触れて、親子で楽しい愛知の考古学
Job Guidance of Ancient Times for Families

埋蔵文化財講演会

開催日時:9月11日[土]  午後1時30分~3時

演題「古代宮都の職人模様」
講師:山中章氏 (三重大学教授)

 たくさんの方の参加をお待ちしています。

[交通]
●リニモ(東部丘陵線):「陶磁資料館南」駅から北方向へ徒歩600m
●名鉄バス(土・日・休日のみ運行):名鉄瀬戸線「尾張瀬戸」駅から「愛・地球博記念公園駅」行き「陶磁資料館」下車
●自家用車(駐車場無料・250台収容):東名高速道路「日進JCT.」経由、名古屋瀬戸道路「長久手I.C.」から瀬戸方面に約5km/東名高速道路・東名阪道「名古屋I.C.」から瀬戸・豊田・足助方面に約10km/東海環状自動車道「せと赤津I.C.」から長久手方面に約7km
●タクシー:地下鉄東山線・リニモ「藤が丘」駅から約10km/名鉄瀬戸線「尾張瀬戸」駅から約7km


2010年9月7日(火曜日)

中山砦跡(新城市)遺跡説明会のおしらせ

カテゴリー: - palace @ 09時57分16秒

 時下、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
 愛知県埋蔵文化財センターは平成22 年6 月より新城市乗本地区の『中山砦跡』の発掘調査を行ってまいりました。今回の発掘調査により中山砦跡の詳細が明らかになりました。また、長篠合戦の際に用いられたと考えられる鉄製の矢じりも出土しました。
 つきましては、これらの発掘調査の成果を見て頂きたく、説明会を下記のように開催いたしますので、皆様お誘い合わせのうえ、是非お越し下さい。

長篠城
▲中山砦跡から長篠城跡を眺める

矢ジリ
▲鉄製矢じりの出土状況

土塁
▲土塁と堀切

 日 時  平成22年9月12日(日)午前11時〜 雨天中止(小雨決行)
 場 所  新城市乗本 中山砦跡発掘調査現場
 主 催  (公益)愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター 電話0567-67-4163
 交通手段 JR 飯田線「鳥居駅」より 東へ徒歩約10分
 その他  *見学コースは安全に注意が必要なため、しっかりした履物にて、ご来場下さい。調査区内では、ヘルメットを着用して頂きます。数に限りがありますので、通学用ヘルメットなどを持参して頂ければ幸いです。
 問い合わせ先   愛知県埋蔵文化財センター新城詰所 TEL:0536-23-5840 担当者:松田・蔭山
          株式会社島田組          TEL:0536-23-5841 (090-9996-5962) 担当者:中川

地図


2010年9月6日(月曜日)

五反田遺跡(安城市) 地元説明会のお知らせ

カテゴリー: - palace @ 13時05分58秒

 日頃は、埋蔵文化財の調査・研究につきまして、ご理解とご協力をいただき、厚くお礼申し上げます。この度、安城市小川町で発掘調査中の五反田遺跡の地元説明会を、下記の通り実施する事になりましたのでご案内申し上げます。
 五反田遺跡は弥生時代〜中世の集落遺跡で、当該期の遺構群が確認されています。石製勾玉や小玉などの特殊な出土品も確認されており注目され ます。

全景

 日 時  平成22年9月12日(日)午前10時〜 雨天中止(小雨決行)
 場 所  安城市小川町 五反田遺跡調査区
 内 容  調査成果の説明、出土品の展示
 主 催  (公益)愛知県教育*スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター 電話0567-67-4163
 交通手段 駐車スペースがありませんので、公共交通機関をご利用下さい。
      名鉄西尾線 桜井下車 徒歩15 分
 その他  参加は無料です。足元が悪いので動きやすい服装や履物でご参加下さい。
 問い合わせ先  安城詰所 安城市小川町向田  電話 0566-99-6580

地図


2010年8月17日(火曜日)

第2回 家族の絆づくり事業計画『家族で歴史を体感』「ぼくもわたしも 古代人!」

カテゴリー: - palace @ 15時36分57秒

家族の絆づくり

< <趣旨>>
 埋蔵文化財展や発掘現場の見学・体験を通じて、郷土の歴史についてなど共通の話題をもとに語り合う場を提供し、親子(家族)相互の理解を深め、あわせて埋蔵文化財への関心や保護の意識の普及啓発につなげる。

< <主催>>
( 公益)愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター

< <後援>>
 愛知県教育委員会  中日新聞社

1. 開催日時  平成22 年9 月12 日(日)9:30〜16:00

2. 対  象  小中学生とその家族

3. 募集人員  15 家族(30〜40 人)

4. 募集締切  8月31日(火)

5. 参加費   無料
 *弁当や飲み物、敷物、帽子、タオルなどはご持参ください。

6. 内  容
行程
 ○鎌倉街道周辺遺跡(稲沢市)にて
  ・遺跡見学と実際の発掘作業を体験します
 ○愛知県陶磁資料館(瀬戸市)にて
  ・開催中の埋蔵文化財展「1000 年前のハローワーク」の見学
  ・体験コーナー「なりきり古代人」(拓本・木簡習字体験ほか)

7. 行  程 貸し切りバスで移動
      午前9時20分:JR稲沢駅東口集合
集合場所
 *雨天決行(一部行程・内容の変更があります。)

8. 申し込み方法
 はがきに、下記の要領でご記入の上、愛知県埋蔵文化財センターまでお送りください。
 先着順で受け付けを行い、定員になり次第、締め切りとします。応募者全員に参加の可否について連絡させていただきます。当選されたご家族には、詳細についてご案内をお送りします。
申し込みハガキ

9.お問い合わせ先
 愛知県埋蔵文化財センター 
 〒498-0017 愛知県弥富市前ヶ須町野方802-24
 Tel.0567-67-4163 Fax.0567-67-3054
  Mail doki@maibun.com

10.案内PDFダウンロード


2010年8月3日(火曜日)

東屋敷遺跡 調査速報

カテゴリー: - palace @ 09時14分20秒

調査課の永井邦仁です。

 先日、豊橋市石巻町に所在する東屋敷遺跡の地元説明会を開催しました。約50 名の地元の方に遺跡を見ていただくことができました。ありがとうございました。
 東屋敷遺跡は、三輪川と神田川に挟まれた舌状台地の南辺に位置する遺跡です。平成20 年度より発掘調査を続け、今年度までに4,420平方メートルの調査を実施しました。検出された遺構・遺物の時代は多岐にわたりますが、主に3 つの時代の集落遺跡であることがわかりました。

 1 つめは弥生時代後期〜古墳時代前期の集落で、竪穴建物跡が36 棟確認されました。建物跡などからは土師器の他に石製紡錘車が2 点出土しています。糸つむぎをなりわいとしていたことがうかがえます。
 2 つめは鎌倉時代の集落で、箆矢神社社殿東側を中心に狭い範囲ですが、掘立柱建物群が確認されました。遺跡周辺は伊勢神宮の荘園である神谷御厨が想定されており、関連が注目されます。
 3 つめは江戸時代の集落で、17 世紀代の美濃産陶器が出土する竪穴状遺構のほか、地割りの溝が縦横にのびているのが検出されました。地割りの溝からは江戸時代後半の遺物が出土し、さらに明治時代の地籍図とほぼ重なると考えられます。現在の東屋敷・西屋敷集落の景観がおよそ江戸時代の間に形成されたようです。

全景
▲10A 区全景(南東から)

図面
▲▲弥生時代後期〜古墳時代の竪穴建物配置図


2010年7月13日(火曜日)

八巻古窯群(東浦町)調査成果報告会のご案内

カテゴリー: - palace @ 10時11分23秒

 時下、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
愛知県埋蔵文化財センターでは、平成22年4月から八巻古窯群(はちまきこようぐん)の発掘調査を行っており、日々沢山の遺物を発見しています。地域の方々の暖かいご声援とご協力に感謝申し上げます。つきましては、この貴重な成果と得られた知見とを皆様と共有いたしたく、下記のような報告会を開催させて頂くことになりました。

     記
1.日時 平成22年7月24日(土) 午後1時30分~2時30分
2.場所 東浦町郷土資料館うのはな館(東浦町大字石浜字桜見台18-4)
3.内容 遺物の観察(手に取ってご覧頂けます)、発掘調査の写真スライドと解説

八巻

< <八巻古窯群とは>>
 平安時代末期(西暦1100年代)に数十年間操業していた古い窯(かま)で、自然釉の風合いが美しい古常滑焼の碗や壷を焼いていました。昭和36年度に愛知県教育委員会が発掘調査して3基の窯が発見されています。今回の調査では、その窯で焼かれた不良品や灰などの捨て場を発掘しました。

< <主催>>
 公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター
  愛知県弥富市前ヶ須町野方802-24
  電話:0567-67-4161

< <お問い合わせ先>>
 調査事務所:東浦町緒川字八巻38-41
 電話:0562-85-4324/080-1571-4992(担当:阿部)


2010年7月9日(金曜日)

東屋敷遺跡(豊橋市) 現地説明会のおしらせ

カテゴリー: - palace @ 11時41分50秒

 日頃は愛知県埋蔵文化財センターの活動にご協力を賜り、ありがとうございます。
 さて、当センターでは平成20年度から3ヶ年にわたって東三河環状線建設工事に伴い、東屋敷遺跡の発掘調査を進めてまいりました。今年度は平成22年4月から8月までの予定で発掘調査を進めています。これまでの調査では弥生時代末から古墳時代前期の竪穴建物跡などをはじめ、多くの弥生時代から江戸時代までの遺構や遺物が発見されました。
 つきましては、これらの成果を皆さまにみていただく現地説明会を、下記のように開催いたしますので、この機会にぜひご覧下さい。
 なお、今年度の調査は、調査範囲が狭いことなど、遺跡の状態を見ていただくにはあまり良い状態ではありませんが、写真パネルや出土遺物を用いてこれまでの3ヶ年の成果を中心に報告する予定です。

全景

 日 時  平成22年7月10日(土)午前10時〜午前11時 雨天中止(小雨決行)
 場 所  東屋敷遺跡発掘調査現場(豊橋市石巻町間場地内:箆矢神社の隣)
 内 容  確認された遺構の見学および出土遺物の展示(調査員による説明を行います)
 主 催  (公益)愛知県教育*スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター
 交通手段 駐車場はほとんどありません。公共の交通機関をご利用ください。
      豊橋駅からの場合
      駅前5番乗り場で豊鉄バス豊橋和田辻線に乗車、石巻登山口バス停下車後、徒歩約10分。
      (土日)  豊橋駅9時10分→石巻登山口バス停9時30分
 その他  参加は無料です。足元が悪いので動きやすい服装や履物でご参加下さい。
 問い合わせ先  愛知県埋蔵文化財センター調査課 <担当:鈴木(正)・永井(邦)>
      鈴木080-1571-4982、永井080-1571-4990

地図


2010年7月7日(水曜日)

別岨古窯

カテゴリー: - palace @ 14時53分48秒

埋文センターの石井です。

6月24日(木) 共和西小学校の6年生が現場に見学に来ました。

 社会科の授業の一環として、共和西小学校6年生の児童と先生合わせて約60名が窯跡の見学に来ました。
 現場では2班に分かれ、1班はまずは発掘中の窯跡の見学。担当者から検出している3基の窯の説明を聞いた後、調査途中の窯を覗き込んだり、実際に掘り終わった窯の中に入ってみました。
 もう1班は窯やその周辺から出土した山茶椀や焼台を見学し、実際に触ってみました。焼台に残された指跡に自分の指を入れて、「こうやって作ったのかな」と推理する児童も。中でも別岨からは2点しか出ていない陶丸(焼いた玉状のもの)には「これ何?」「何に使ったの?」の質問がたくさんありました。
 窯跡だけでなく、作業する人たちにも興味津々で、質問コーナーでは「どれくらい働いているの?」「作業の道具は?」といった質問も飛び交い、質問を受けた作業員も自分の道具を見せながら答えていました。

説明
▲発掘作業中の窯を前に、担当者から説明を聞く小学生。

視察
▲調査の終了した窯の中に入って、窯を観察。

全員
▲発掘現場を背景に記念撮影。この日は晴天で気温も上がりましたが、学校から約40分かけて歩いてきました。


2010年7月1日(木曜日)

一色青海遺跡出土の鹿の絵画土器について

カテゴリー: - palace @ 18時03分13秒

1 名 称:鹿の絵画土器

2 出土場所:一色青海遺跡(稲沢市一色青海町)

3 大きさ・形状等
復元径:5.2cm 残存高9.0cm
鹿の絵は、筒形土器と呼ばれる砲弾形を呈する土器の外面に描かれていました。口縁部と底部は欠損していますが、本来は、口縁部を斜めに切り落としたような形状であった可能性が高く、底部はおそらく丸底とおもわれます。
 鹿の絵は体部外面に、縦方向に6頭、頭部を右にして描かれています。土器を焼く前に、まず、浅く線刻で下書きをおこない、その上から、同じく焼成前に、ベンガラを用いて面的に塗っています。胴部より尻尾にかけては、器面の剥落が著しく、遺存状況は悪いのですが、上の2頭に関しては、線刻が比較的よく残っています。
 線刻は、通常の線刻土器よりもかなり浅いことから、当初からベンガラを塗ることを想定して、下書きとして描かれていたようです。頭部は耳あるいは角をV字に描いたのち、鼻先を描いています。頸部は1本線、胴部は2本線で表現し、胴部を描いたのちに、足を描いています。
 ベンガラを塗った工具は不明ですが、面的にある程度の幅をもって描かれていることから、筆状のものを使用していた可能性が高いと考えています。

4 出土の経緯
一色青海遺跡の調査において平成21年12月15日に出土しました。その後、独立行政法人奈良文化財研究所都城発掘部副部長 深澤 芳樹 (ふかざわ よしき )氏に鑑定をお願いしました。また、同様の類例の収集を行っています。

5 出土状況
(1)遺跡の概要
 一色青海遺跡は愛知県の北西部、稲沢市のほぼ中央に位置する稲沢市一色青海町に所在し、東は三宅川、西は日光川にはさまれた沖積低地に立地しています。おもに日光川上流浄化センターの施設建設にともなって、平成3年度以来、愛知県埋蔵文化財センターが断続的に発掘調査をおこなっており、平成21年度までに合計36,124m2
を調査しています。
 遺跡の所属時期は、弥生時代と鎌倉~戦国時代の2時期に大きく分けられます。弥生時代の遺構は中期後葉(紀元前1世紀頃)に限定され、それ以前、それ以降とも人が居住した形跡は全くみられません。ただし、一色青海遺跡の東には野口北出(のぐちきたで)遺跡(弥生前~中期中葉)、南には須ヶ谷(すがたに)遺跡(縄文晩期末~弥生中期中葉) があり、これらの集落の居住者が一色青海遺跡の成立に関わったと考えられます。遺跡は、北西から南東に流れる河道によって形成された、東西約300m、南北約70mのU字形を呈する幅の狭い微高地上に展開しており、おおむね東に方形周溝墓群、西に居住域が広がっています。
 居住域では、これまでの調査で約270棟の竪穴建物、約30棟の掘立柱建物を確認しています。このうち、平成15年度の調査(03A区)で確認した掘立柱建物SB017は、南北(桁行)17.6m、東西(梁間)5.1m、床面積89.8平方メートルを測る巨大なもので、弥生中期後葉としては、東日本で最大級の掘立柱建物です。

(2)出土状況
 今回展示する鹿の絵を描いた絵画土器は、平成21年度に調査を行った、09B区の大型土坑1257SKから出土しました。この1257SK周辺には、掘立柱建物5棟と大型土坑群約20基が集中しています。うち、掘立柱建物1773SBと1752SBは、柵列1772SAとともに一定の規格で建てられていることから、これらは同時併存していた可能性が高いと思われます。このうち、2×2間の総柱建物1752SBは、重複する4棟の竪穴建物が廃絶したのちに築かれていることから、2棟の掘立柱建物は、集落存続期間のなかでも後半に属することは確実です。また、4×1間の掘立柱建物1773SBは、北西隅から2番目の柱穴が、1257SKと同規模の大型土坑に切られています。これらのことから、1257SKは、間接的ではありますが、これら掘立柱建物群よりも新しく、集落存続期間のうちでも最終段階に近い時期に掘削されたと考えています。

6 意 義
 弥生時代の絵画土器はこれまで600例ほどあり、そのうちの4割が鹿の絵です。ただし、鹿に限らず、これまで出土している絵画土器のほとんどは、線刻によるものであり、線刻の上に顔料を塗ったものは、福岡県朝倉郡夜須町(現・筑前町)の大木遺跡から出土した92号甕棺(弥生中期前葉)の口縁部付近に描かれた、線刻の鹿に黒色物質を塗った1例のみです。
 今回の一色青海遺跡出土例は、顔料による弥生時代の絵画土器としては2例目であり、ベンガラを用いたものとしては、全国で初例となります。愛知県内では、これまで鹿の絵画土器・土製品は7例(本例で8例目)が知られています。このうち、朝日遺跡VIIIの報告書に掲載されたものは、筒形土器という点で、今回の出土例と共通しています。
 一色青海遺跡でも、平成15年度の調査で、03B区SK0750から線刻で鹿を描いた土製垂飾が出土しており、絵画資料としても、鹿の絵としても、今回が2例目となります。
 弥生時代の鹿の絵は、弥生前期末に北部九州で出現し、中期には特に近畿地方で盛行することがわかっています。描き方としては、頸部から尻尾までをすべて1本の線刻で表現するものが型式的に最も古く、その後、胴部を2本線で描くようになり、のちには頸部まで2本線となります。頭部は、耳あるいは角をV字に描き、鼻を1本の別の線で描くのが古く、のちにはこれがつながるようになります。
 一色青海遺跡出土の鹿の絵は、前回・今回ともに、頸部は1本線、胴部は2本線で描いており、頭部は鼻を別に描いていることから、比較的古い要素を留めています。 東日本で最大級の掘立柱建物です。

一色シカ


下懸遺跡出土の木簡について

カテゴリー: - palace @ 17時55分02秒

1 名 称:文書木簡

2 出土場所:下懸遺跡(安城市小川町)

3 大きさ・形状等
(1) 大きさ:長さ138mm×幅38mm×厚さ3mm
(2) 形 状:薄い板状
(3) 釈 文: [算カ] [賜カ]
・□□米物受被□□」

4 出土の経緯
下懸遺跡の調査において平成22年1月20日に出土しました。その後、日本福祉大学名誉教授 福岡 猛志 (ふくおか たけし)氏および名古屋大学准教授 古尾谷 知浩(ふるおや ともひろ)氏に釈読をお願いしました。また保存処理も行っております。

5 出土状況
(1)遺跡の概要
 遺跡は標高約7mの鹿乗(かのり)川左岸の沖積地上に展開します。遺構としては、弥生時代後期から鎌倉時代の集落の建物(竪穴建物・掘立柱建物)や水田遺構、川の跡が検出されています。また出土遺物は、弥生時代末から古墳時代初頭の土師器や木製品などが多数出土しています。
(2)出土状況
 木簡は平成21年度に調査した、09B区の川の跡より出土しています。川の跡は大きく上下2層に分かれ、下層は弥生時代から古墳時代、上層は奈良時代から平安時代の堆積がみられます。木簡は上層底部から出土しました。伴出した遺物は少ないですが、木簡の時期は奈良時代と判断されます。
 木簡は、途中で折り切られた状態でその下部のみが出土しています。

6 意 義
 木簡の記載内容は、米を含む物品の受け取りにかかわる文書になります。これまで愛知県内で出土した木簡のうち判読できた事例のほとんどが習書(しゅうしょ)木簡でしたが、実務的な内容の木簡としては初めての事例です。
 またこの出土地点は、以前に下懸遺跡で出土した習書木簡との出土位置も約20mと近いことから、木簡が集中するエリアとして認識されます。今回の木簡の出土により、付近に木簡を使用する古代の官衙(かんが)や豪族の居宅などの施設が存在していた可能性がさらに高まったといえます。

下懸木簡


惣作遺跡出土の木簡について

カテゴリー: - palace @ 17時52分08秒

1 名 称:習書(しゅうしょ)木簡
※ 習書木簡 文字の練習をした木簡

2 出土場所:惣作遺跡(安城市木戸町)

3 大きさ・形状等
(1)大きさ:長さ573mm×幅32mm×厚さ7mm
(2)形 状:細長い板状
(3) [巻カ]
(表)・「道大巻得得麻呂 得□□大□天平護田 呉部足国」
(裏)・「□ 大 本 本 本 本 本 本本 [ ]」

4 出土の経緯
惣作遺跡の調査において平成20年11月26日に出土しました。出土時は文字の一部しか確認できませんでしたが、水浸け保存を行っている過程において、さらに判読できる可能性がでてきたため、日本福祉大学名誉教授 福岡 猛志(ふくおか たけし)氏および名古屋大学准教授 古尾谷 知浩 (ふるおや ともひろ)氏に釈読をお願いしました。

5 出土状況
(1)遺跡の概要
 遺跡は標高約7mの鹿乗川左岸の沖積地上に展開します。遺構としては、弥生時代中期から平安時代の集落の建物(竪穴建物・掘立柱建物)や水田遺構、川の跡が検出されています。また出土遺物は、集落域では弥生時代中期の土器が最も多く、川の跡からは古墳時代 前期の土師器や木製品が多数出土しています。
(2)出土状況
 木簡は平成20年度に調査した、08A区の木簡川の跡より出土しています。川の跡は大きく上下2層に分かれ、下層は弥生時代から古墳時代、上層は奈良時代から平安時代の堆積がみられます。木簡は上層から出土しました。木簡は2つに折れて分離した状態でしたが、近接する位置で出土しています。上層からは10世紀の灰釉陶器や曲物が出土しており、木簡はこれより古い時期であると判断されます。

4 意 義
木簡に記された文字は奈良時代の書風であり、その筆致から書き手は比較的高度な文字の教育を受けた人物であったことがうかがえます。惣作遺跡の南には寺領廃寺(じりょうはいじ)という奈良時代の寺院跡があり、寺院にかかわる人物の可能性もあります。
 「呉部足国」(くれべのたりくに)は人名になります。「呉部」(くれべ)という氏族は渡来系氏族と考えられています。正倉院文書には、三河国碧海(あおみ)郡呰見(あざみ)郷の戸主として呉部呰麻呂(くれべのあざまろ)、および戸口に呉部清虫がみえ、三河地域の古代氏族と考えて差し支えありません。人名が解読できる木簡と
しては県内初例です。
 呰見郷は現在の西尾市東浅井町・西浅井町に想定されていますが、惣作遺跡から南東へ1.3kmという至近の距離にあり、そこに実在した人とも考えられます。

惣作木簡


2010年6月2日(水曜日)

別岨古窯群(大府市)の地元説明会

カテゴリー: - palace @ 13時13分35秒

 日頃は、埋蔵文化財の調査・研究につきまして、ご理解とご協力をいただき、厚くお礼申し上げます。この度、大府市共和町で発掘調査中の別岨古窯群(べっそこようぐん)の地元説明会を、下記の通り実施する事になりましたのでご案内申し上げます。
 これまでの調査では、平安時代末~鎌倉時代初頭の焼き物を生産した窯体3基と、焼成不良品の堆積層が確認されました。窯体の残存状況は良好で、当時の窯業技術を知る好例となります。

       記
1:日 時 平成22年6月12日(土曜日)  午後2時00分~

2 :場 所 大府市共和町 別岨古窯群調査区

3 :内 容 調査成果の説明、出土品の展示

4 :主 催 (公益)愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター

電話0567-67-4163    http://www.maibun.com
大府詰所 電話 0562-48-5518

5 駐車場 駐車場はありませんので、公共交通機関等をご利用下さい。
   JR東海道本線 南大高駅下車 徒歩20分(約2km)
  大府市循環バス 中央西コース 壱ツ田下車 徒歩10分(約1km)
地図


2010年4月12日(月曜日)

須長10号墳 調査速報 その2

カテゴリー: - palace @ 15時00分10秒

○調査課の亀甲です。
 平成22年1月から発掘調査を行ってきました須長10号墳の調査が終了しました。主な調査結果についてお知らせいたします。


▲須長10号墳遠景(北から)

 須長10号墳は、新城市街の北東に位置する須長地内にあり、標高は約110mです。古墳は、7世紀に築かれた、直径約10mの円墳であることが分かりました。周囲には溝がめぐらされており、古墳の西側には3棟の竪穴建物跡が検出されました。出土した遺物から、3棟の竪穴建物は、古墳が築かれた時期と近いものだと考えられます。


▲須長10号墳(直上から)

 古墳の埋葬施設は、長さ約7m、幅約1mの横穴式石室で、天井石は奥壁部を除いて、原状をとどめていませんでした。横穴式石室に使用された石材は、付近に産出する花崗岩(かこうがん)です。石室入り口付近からは須恵器(すえき)高杯(たかつき)等が出土しました。


▲須長10号墳石室(南から)


▲石室入り口付近出土遺物状況

 玄室からは、7世紀の須恵器長頸壷1個体が出土しました。


▲石室北西隅出土遺物状況

 須長10号墳の玄室は、基底石(きていせき)(石室を構築するにあたって最下段に据えられた石材)の状況から、奥窄(おくすぼ)まり形(玄門(げんもん)側、中央部に比べて、奥壁のみ幅が狭い)であるといえます。奥壁中央には鏡石、手前側には羨道(せんどう)と玄室(げんしつ)を分ける立柱石(りっちゅうせき)も確認されました。


▲石室基底石検出状況

 以上、今回の調査によって、須長10号墳の性格が明らかになってきました。今後も調査研究を進めていきたいと考えています。

 


2010年3月20日(土曜日)

石座神社遺跡 地元説明会のお知らせ

カテゴリー: - palace @ 08時45分00秒

 日頃は、埋蔵文化財の調査・研究につきまして、ご理解とご協力をいただき、厚くお礼申し上げます。
愛知県埋蔵文化財センターでは、平成21年8月より新城市大宮地区の『石座神社遺跡』(いわくらじんじゃいせき)の発掘調査を行ってまいりました。

 石座神社遺跡では、弥生時代後期〜古墳時代前期の竪穴住居が100軒以上見つかり、さまざまな遺物も出土しています。

 つきましては、これらの発掘調査の成果を見て頂きたく説明会を下記のように開催いたしますので、皆様お誘い合わせのうえ、ぜひお越し下さい。 

       記

1 日 時  平成22年3月27日(土曜日) 午前11時〜

2 場 所  新城市大宮字長頭貝津・狐塚

3 内 容  調査成果の説明、出土品の展示

4 交通手段  JR飯田線「茶臼山駅」より  北へ徒歩約30分
※ 当日は駐車場に限りがありますので、できる限り公共交通機関のご利用をお願いします。
5 連絡先 愛知県埋蔵文化財センター新城詰所  電話  0536-23-7544 


地図

遺物
▲竪穴住居より出土した遺物の様子

炭化材
▲竪穴住居床面に広がる炭化材の様子

調査
▲発掘掘調査の様子

※同時に、先日説明会が中止となった須長10号墳のパネル写真および遺物展示も行う予定です。

須長
▲須長10号墳出土遺物


2010年3月15日(月曜日)

西牧野遺跡 調査速報 その2

カテゴリー: - palace @ 08時45分00秒

● 調査課の石原です。

 平成21年4月から発掘調査を行ってきました西牧野遺跡の今年度の調査がほぼ終了いたしました。前回のご報告以降新たに発見された事実についておもなものをお知らせいたします。

全景
▲西牧野遺跡が位置する段丘を西から東に眺望

東西約600mの範囲のうち、今年度はA〜Fの6調査区について調査を行いました。
なだらかに東から西へ下る地形のこの遺跡の一番東に位置するA区では、刀子と土師器皿をともなったものを含め、中世の土壙墓が2基検出されました。また、大型の土坑群や多くの溝も検出されました。

遺物
▲刀子と土師器皿の出土状況

 また、厚さ10cmを超える火山灰の堆積層も検出されました。愛知県でこうした堆積層が検出されることは大変珍しいことです。風化が激しく、分析結果からははっきりと火山灰の種類が判別できませんでしたが、今のところ鬼界アカホヤ火山灰(約7300年前のもの)かカワゴ平火山灰(約3000年前のもの)のどちらかであろうと考えております。

火山灰
▲火山灰層

 A区から300mほど西側にあるB区では幅9mほどの旧河道が顔を見せました。この旧河道は江戸時代以前に大部分が埋まり、水田などの耕作地になったと考えています。調査区の北側では、一辺約10m規模の弥生時代の方形周溝墓1基を確認しました。また、旧河道の岸には江戸時代など比較的新しい時期の溝が幾筋も河川に沿うように走っていました。

遺構
▲方形周溝墓の南・東の2辺(朱線)と撹乱土坑群

 C、D区は遺構は比較的希薄であるものの、C区では炉跡のある円形竪穴建物跡のほか、鎌倉時代の堀立柱建物や地下式壙が、D区では縄文中期の深鉢のほか鎌倉時代や近代の溝が検出されました。
 この2つの区ではさらに下の層で、合わせて1000点を超える旧石器が検出されました。石材は溶結凝灰岩と黒曜石がそのほとんどを占め、器種は剥片やチップが9割を占めるものの、石核、ナイフ形石器のほかに少数ではありますが、掻器、削器、角錐状石器、槍先形尖頭器も出土しています。
 出土状況はほぼ平面上に径約2mの中に集中して出土する場所と、広範囲にわたって散漫に出土する場合が見られました。

集中
▲集中出土例

広範
▲広範囲出土例

西牧野遺跡は複合遺跡ではありますが、西三河地域の旧石器時代の様子を知る上で、県内で類例を見ない規模・内容をもつ重要な遺跡と位置づけられます。また、地元で採れない黒曜石などの石材はどのようにしてこの地にやってきたのか、現段階で約2万年前と考えている出土旧石器の時期をもう少し絞り込むことができるのか、石器の加工場所は存在するのに生活の跡がないのはなぜかなど、さらに明らかにしていきたい課題がいくつもあります。
今年度の調査結果を詳細に検討するとともに、来年度以降も注意深く発掘調査を行っていきたいと思います。


2010年3月8日(月曜日)

石座神社遺跡 調査速報3

カテゴリー: - palace @ 08時45分00秒

●調査課の白井です。

 日頃は、埋蔵文化財の調査・研究につきまして、ご理解とご協力をいただき、厚くお礼申し上げます。愛知県埋蔵文化財センターでは、平成21 年8 月より新城市大宮の『石座神社遺跡』(いわくらじんじゃいせき)の発掘調査を行っています。

全景
▲石座神社遺跡09 調査区遠景

 今年度の調査では、弥生時代後期〜古墳時代前期の竪穴建物が約100 棟見つかり、丘陵斜面に立地する大規模な集落が確認されています。また、たくさんの弥生土器、土師器に加え、縄文時代前期の滑石製けつ状耳飾(けつじょうみみかざり)や昨年度の調査でも見つかった鉛製鉄砲玉などが出土しています。
大型竪穴建物
▲丘陵斜面に立地する大型竪穴建物

遺物
▲竪穴建物における遺物出土状況

耳飾り
▲滑石製けつ状耳飾(けつじょうみみかざり)

玉
▲鉛製鉄砲玉出土状況

 本遺跡は、弥生時代後期〜古墳時代前期における旧設楽郡の中での大規模な集落として位置づけらます。今後、集落の立地や規模、継続性、遺構や出土遺物の構成等の観点から、吉竹遺跡や、モリ下遺跡といった近隣集落との関係性について、より詳細な検討が必要だと考えられます。また、縄文時代の遺物は、草創期〜前期に帰属するものが多いとみられ、当地域の具体的な様相を知るための良好な資料になると思います。


2010年3月1日(月曜日)

下新田遺跡 調査速報 その2

カテゴリー: - palace @ 13時11分16秒

●調査課の榊原です。

 平成21 年10 月より進めてきました下新田遺跡の発掘調査が、平成22 年2月19 日をもって無事終了することができました。新たにわかりました主な調査結果についてお伝えいたします。

全景
▲遺跡全景(南より撮影)

 下新田遺跡は弥生時代から近世にかけての複合遺跡です。特に奈良時代と室町時代後半(戦国時代)の遺構及び遺物が多く見つかりました。

1 弥生時代中期後葉(およそ2000 年前)
 前回の調査速報でもご紹介しましたが、岩倉市総合体育文化センター北西のDa 区南端では、荒い櫛状の工具で施文された深鉢(弥生中期後葉のもの)が出土しました。
その後の調査で、Da 区の南に隣接するDb 区の調査を進めました。その結果、深鉢が出土した溝はDb 区側に伸びており、西側を「コ」の字状に囲んだ幅約1m の溝であることがわかりました。この溝は一辺が10 m程の方形周溝墓の周溝である可能性が考えられます。またDb 区側でもこの溝からは弥生時代の深鉢底部(写真参照)が出土しています。弥生時代の遺物・遺構の分布状況から考え、弥生時代の集落はDa・Db 区の南西、はなのき広場の方向に広がっていたと思われます。 

深鉢
▲弥生時代の深鉢(Db 区で出土)

2 奈良時代(およそ1300 年前)
 この時代の遺構は、県道の西側の調査区でも東側の調査区でも、多数見つかりました。竪穴住居40 棟のほか、柱穴や土坑が確認されています。Da 区では掘立柱建物と思われる柱列が、Da 区の北のEd 区では古代の大型土坑(写真参照)が見つかりました。総合体育文化センター北西にかけてが、古代集落の中心部に近いと考えられます。また、はなのき広場の南東に位置するDc 区からは須恵器に墨で文字が書かれた墨書土器が出土しました。漢字の「にんべん」の部分を読み取ることができます(写真参照)。

土坑
▲古代の大型土坑(Ed 区。南西より撮影)

にんべん
▲「にんべん」が書かれた須恵器の墨書土器(Dc 区より出土)

3 室町〜戦国時代(およそ500 年前)
 今回調査を実施した全12 調査区において、方形に巡る区画溝が確認されました。軸線は東に13°ほど振れており、どの溝もほぼ同じ方向に巡っています。B 区では幅4m を超える大溝や井戸、県道を挟んで向かい合うDa区では大型土坑が集中して掘削されている地点があることから、15 世紀後半〜16 世紀にかけて居住域が広がっていたと考えられます。

全景
▲ Ab 区全景(古代と戦国の遺構が多い。北より撮影)

 5ヶ月にわたり実施した調査によって、多くの成果を得ることができました。また下新田遺跡の北東0.5km に位置する御山寺遺跡から続く古い微高地上に立地することもわかりました。今後は調査記録や出土遺物の整理を行い、岩倉の歴史についての調査研究を進めていきたいと考えています。


2010年2月27日(土曜日)

下懸遺跡 地元説明会のお知らせ

カテゴリー: - palace @ 06時00分00秒

 日頃は、埋蔵文化財の調査・研究につきまして、ご理解とご協力をいただき、厚くお礼申し上げます。この度、安城市小川町で発掘調査中の下懸遺跡の地元説明会を、下記の通り実施する事になりましたのでご案内申し上げます。
 下懸遺跡は、三河地域で初めて古代の木簡が出土したことで注目されていますが、今年度の発掘調査でも古代の木簡が発見されました。

        記

1 日 時  平成22年2月27日(土曜日) 午前10時〜
2 場 所  安城市小川町 下懸遺跡調査区
3 内 容  調査成果の説明、出土品の展示
4 主 催  (財)愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター
       電話0567-67-4163 http://www.maibun.com 
       安城詰所 安城市小川町向田  電話 0566-99-8171 
5 駐車場  駐車スペースがありませんので、公共交通機関をご利用下さい。
        名鉄西尾線 桜井下車 徒歩15分
地図

風景
木簡


2010年2月26日(金曜日)

須長10号墳 地元説明会のおしらせ

カテゴリー: - palace @ 13時30分00秒

**雨天が予想されるため、中止させていただきます。

 日頃は、埋蔵文化財の調査・研究につきまして、ご理解とご協力をいただき、厚くお礼申し上げます。愛知県埋蔵文化財センターでは、平成22年1月より新城市須長地内の『須長10号墳』の発掘調査を行ってまいりました。
 須長10号墳は、新城市に約200基あるといわれている古墳の一つで、南北約15m、東西約14mの古墳時代後期の円墳だと思われます。古墳の埋葬施設は横穴式石室で、周溝が確認されました。古墳周辺には竪穴建物跡などの遺構も見つかり、土器も出土しています。
 つきましては、これらの発掘調査の成果を見て頂きたく説明会を下記のように開催いたしますので、皆様お誘い合わせのうえ、ぜひお越し下さい。

        記


1 日 時  平成22年2月27日(土曜日) 午後2時〜
2 場 所  新城市須長字天王 須長10号墳発掘調査現場
3 内 容  調査成果の説明、出土品の展示
4 交 通  駐車スペースがありませんので、公共交通機関をご利用下さい。
        JR飯田線「三河東郷駅」より 北へ徒歩約30分

地図

写真1

写真2


2010年2月9日(火曜日)

桑下城跡 調査報告

カテゴリー: - palace @ 09時41分38秒

◎調査課の伊奈です。

 11月21日(土)に開催しました瀬戸市上品野町の桑下城跡地元説明会には大勢の方々に足を運んでいたき、ありがとうございました。9月から始まった今年度の発掘調査も1月で無事に終了しました。今回はその後の調査結果を中心に報告します。
全景 
▲調査区遠景

【調査概況】
尾根上の曲輪(くるわ:城の中の平場)東西2カ所で大溝が見つかりました。大溝は底面の幅70cm程の箱堀で、形状から通路とも考えられます。溝の西端では、この溝を埋めた後に掘削された溝から土留めと考えられる石組みが見つかりました。また、この大溝が途切れる辺りから柵列と考えられる穴がコの字状に展開しています。
大溝 
▲尾根上の大溝と柵列跡

調査区南側の大きな曲輪中央部分で火災が起きたと考えられる焼土や被熱した石が出土し、火災後の整地面(第1面)、焼土が広がる面(第2面)、築城当初と考えられる面(第3面)を確認しました。地元説明会では第1面の概要を報告しました。  

< <第1面>>
 曲輪中央で南北方向に走る石組みの溝が見つかり、溝からは鳥形水滴、猪形水滴、合子(ごうす)などが出土しました。また、部分的に石が組まれたL字状の溝も見つかり、溝の中は焼土や炭化物で埋まっていて直接火を受けたと思われる部分もありました。北東部分では石組みの井戸も見つかっています。出土遺物は豆天目、茶入、水滴などの大窯(おおがま)製品の他、茶臼、鉄製刀子(とうす)、ガラス製数珠玉(じゅずだま)、中国産染付碗などが出土しています。
曲輪1
▲地元説明会 南側曲輪の第1面

井戸
▲石組みの井戸

< <第2面>>
 南側は1m以上の盛土がされており、曲輪全体で大規模な造成が行われたことが分かりました。中央部分に焼土が広がっており、火災が起きたと考えられます。
 焼土の広がりの北西部分でL字状の溝が、中央部分でも別の溝が見つかりました。
中央部分の溝の中は焼土塊が多数埋まっており、溝の底部から鳥形水滴や匣鉢(さやばち)、銅製金具が出土しました。また、この溝の東側の焼土層から豆天目が、南側の炭化物集積部分から兜の一部である鍬形台(くわがただい)が出土しました。発掘調査で鍬形台が見つかることは大変珍しいことです。西隣の曲輪との境で古い時期の特徴を持った石垣も見つかっています。
 出土遺物は、第1面・第2面共に内耳鍋などの日常生活用具はあまり出土しませんでした。このことから、この曲輪は日常生活とは異なる特殊な空間だったとも推測できます。
焼土
▲南側曲輪 焼土の広がり(第2面)
     
遺物
▲南側の曲輪の出土遺物(水滴、合子、豆天目)
     
鍬形
▲鍬形台
     
毛彫り
▲鍬形台の毛彫り

< <第3面>>
 曲輪のほぼ中央で南北方向へつながる約3mの石列が見つかりました。この石列の東側は南方向へと大きく落ち込んでおり、西側は溝や柵列が隣の曲輪へと続いていて一体の平場だったと考えられます。
 出土遺物は平碗、直縁大皿、耳付水注、卸目付大皿、天目台など古瀬戸製品が多く、他には東濃型山茶碗や中国産染付碗も出土しています。
石垣
▲石垣と溝、柵列跡
            
曲輪3
▲南側曲輪 第3面

< <その他>>
 桑下城築城以前と考えられる大きな穴が複数見つかりました。これらは地山を掘り抜き底面中央に小穴を伴っており、縄文時代の陥穴(おとしあな)と考えられます。陥穴の1つからは石鏃(石のやじり)が、南側の曲輪からは旧石器時代の細石核(さいせっかく)という石刃(石器)の元になる部分が出土しました。
             

 以上、4回に及ぶ調査によって桑下城の性格が明らかになってきました。本丸周辺は大規模に改造されており、侵攻勢力である松平氏や今川氏の関与がうかがわれます。これに対して、従来城外とされていた本丸西側の小曲輪群は築城当初の形状が残り、在地領主である永井(長江)氏の居城域であった可能性が高まりました。このように、有力大名が在地領主の館城(やかたじろ)に入って新たな城を形成した例として城郭研究にとって大きな成果を残すことができました。今後も調査研究を進めていきたいと考えています。


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公益財団法人 愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター