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2006年09月29日
薬師ケ根遺跡 調査速報 2
●調査課の永井邦仁です。
豊明市沓掛町上高根地区にある薬師ケ根遺跡では、去る9月16日(土)に地元説明会を開催しました。当日は時折雨が降りましたが、沓掛町の皆さんを中心に約120名の参加をいただきました。ありがとうございました。なお、当日配布した資料を訂正したものが完成しました。

▲調査区遠景 北西から
ところで、説明会や先回の調査速報では、中世の遺構について、戦国時代(15世紀後半から16世紀)まで下る見解を示しましたが、その後出土した遺物を詳細に検討した結果、中世の遺物は室町時代前半(14世紀から15世紀前半)が中心となることが判明しました。ここで訂正しておきます。
したがって16世紀代となる沓掛城より古い時期の遺構が調査地点に広がっていたことになり、中世の沓掛地区の歴史をより遡らせて考える必要がでてきました。具体的には、比較的多くの中国製磁器(青磁や白磁の破片が計6点)があり、溝で区画されたムラが存在したことになります。一時的にですが鉄鍛治も行なっていたようです。それが沓掛城がつくられた時期に、この場所から移動していった可能性が考えられます。移動先が沓掛城の周辺なのかどうか、とても興味がもたれるところです。
なお、9月22日には調査区全景を写真撮影し、今後は井戸や平安時代の竪穴建物跡の調査を進めていく予定です。

▲調査区全景 北西から
2006年09月15日
埋文展 青銅器工房
○調査課の永井宏幸です。
現在、愛知県陶磁資料館で開催中の企画展から、「朝日遺跡のハンディクラフト」で作成したイラストを4回にわたって紹介します。

<<青銅器工房>>
朝日遺跡では弥生中期初めの石製銅鐸鋳型が見つかっています。近い将来に鋳造工房も見つかることでしょう。弥生後期には銅滴も出土していますので鋳造を行っていたことは確実です。特に「三遠式」とよばれるこの地域に分布する銅鐸は、朝日遺跡で製作された可能性があります。
朝日遺跡では巴型銅器・筒型銅製品・銅鏃など各種の青銅器も出土しています。
2006年09月14日
埋文展 玉作工房
○調査課の永井宏幸です。
現在、愛知県陶磁資料館で開催中の企画展から、「朝日遺跡のハンディクラフト」で作成したイラストを4回にわたって紹介します。

<<玉作工房>>
朝日遺跡では弥生中期初めの玉作工房が複数見つかっています。同時にいくつの工房が操業していたかはわかりませんが、少人数で時間をかけて勾玉や管玉を作っていたようです。勾玉原石の翡翠は新潟県の糸魚川下流域産、原石を切り離す道具の施溝具の紅簾石片岩は紀伊半島産のものです。玉原石だけでなく道具も遠方から運ばれています。おそらく、玉作工人も遠方から招かれた人たちなのでしょう。この玉作りを掌握していたのが大型方形周溝墓の被葬者でしょうか。
2006年09月12日
埋文展 製陶工房
○調査課の永井宏幸です。
現在、愛知県陶磁資料館で開催中の企画展から、「朝日遺跡のハンディクラフト」で作成したイラストを4回にわたって紹介します。

<<製陶工房>>
朝日遺跡では弥生中期に黒い土器が、弥生後期に赤い土器が好んでつくられました。黒い土器・赤い土器の典型はそれぞれ「貝田町式」・「山中式」と呼ばれています。
イラストの土器は弥生後期の赤い土器を製作している様子です。この赤い土器は、古代ギリシアのクノッソス宮殿出土の宮廷式(Palace Style)になぞらえて、「パレススタイル土器」とも呼 ばれています。
2006年09月11日
薬師ケ根遺跡 調査速報
○調査課の永井邦仁です。
豊明市沓掛町上高根地区にある、薬師ケ根遺跡では、8月初めから9月末までの予定で発掘調査が進行中です。場所は県道57号の明和交差点のすぐ西側です。周辺の遺跡としては西1.5kmに戦国時代の沓掛城跡、さらにその西1kmには鎌倉街道が通過していたとされる二村山があります。
遺跡は丘陵地の末端に位置しており、西から東へ下る緩い傾斜の基盤層を検出面として遺構の確認をおこなっています。確認された遺構は鎌倉時代から戦国時代にかけてのピットが中心ですが、やや大きめの土坑や井戸もあります。遺物は奈良時代となる8世紀後半の須恵器や土師器が最も古く、縄文土器や弥生土器および石器は出土していません。

▲調査区全景 北西から
奈良時代から平安時代の遺構には、東西方向にのびる幅約1mの溝があります。しかし須恵器はこの溝以外からも多数出土し、しかも融着したものが若干ですが混じっていることから、付近に須恵器窯があった可能性が考えられます。
戦国時代の遺構には、鉄滓が出土した竪穴状施設跡があります。何らかの作業場と考えられますが、小鍛冶との関連が想定できるかもしれません。他にも200基近くのピットがあり、深さが70cmにもなるものがいくつも確認されました。掘立柱建物の柱穴と判断されますので、現在、建物の平面形を検討しているところです。

▲竪穴状施設跡

▲底に手が届かないピット
2006年09月07日
埋文展 木器工房
○調査課の永井宏幸です。
現在、愛知県陶磁資料館で開催中の企画展から、「朝日遺跡のハンディクラフト」で作成したイラストを4回にわたって紹介します。

<<木器工房>>
弥生時代の木器には、鋤・鍬などの農具、高杯や鉢などの容器、機織具、田舟・丸木舟などの運搬具があります。
農具は不可欠な道具なので特別な工房で作られることはありませんでしたが、飾り付けた容器や把手をもつ容器など珍しい品々は特別な工房で製作されたのでしょう。
2006年09月05日
西浦遺跡 調査速報 2
○調査課の鈴木です。

愛知県埋蔵文化財センターでは、平成18年7月から、豊橋市石巻町に所在する西浦遺跡の発掘調査を実施しています。この遺跡は昭和40年に豊橋市内で教員をされていた木下克己さんが石巻山の南麓にある台地の縁端部で弥生時代や古墳時代の土器を発見して見つかった遺跡です。

今年度の発掘調査では7調査区(大きく5調査区)に分けて行う予定ですが、先週末(8月25日)までに、調査予定地の中で最も台地から離れたAa区の2面目の調査がおおよそ終了しました。

Aa区の2面目では、戦国時代から江戸時代前期の溝群と長方形土坑群などが確認されました。戦国時代から江戸時代前期の溝は、L字状に折れ曲がるものや十字に交わるものがあり、土地を方形にいくつか区画したものと考えられます。建物跡や生活に使用された道具等がほとんど見つかりませんでしたので、この場所は居住空間ではなかったようです。

加えて、Aa区の南部では地形が緩やかに下がって水が湧きやすい状態となっており、そこには長方形土坑が5基発見されました。これらはその大きさ等からお墓ではないかと推定しましたが、ご遺体や副葬品などは全く見当たらなかったので、はっきりしたことは分かりませんでした。
2006年09月04日
埋文展 体験プログラム3
●調査課永井宏幸です。
8月27日〔日)、体験プログラム第3弾、「石器と骨角器の製作」を開催しました。
今回は鹿の角を使って、魚などを捕る道具「銛(もり)」を作りました。


まず、銛の作り方を説明。

次に、銛の先端をこすって尖らせます。

黒曜石で作った刃物を使って、細かな細工。

ほぼ完成かな。
2006年09月01日
埋文展 近世のムラ
○調査課 永井宏幸です。
現在、愛知県陶磁資料館で開催中の展示から、「ムラとやきものの移り変わり」にあわせて作成しましたイラストを、6回シリーズで紹介します。今回は最終回です。

<<近世のムラ>>
上中・西屋敷遺跡(稲沢市)の発掘調査成果などを基に想定復原しました。
中世前期には屋敷地同士は密集せず、比較的ゆるやかに立地していしたが、中世後期に集村化現象が進み、近世・江戸時代には現在みられる伝統的なムラと同じ場所に、同様な形態のムラが成立しました。ただし一般的には、現在みられる伝統的なムラの景観は東西日本で異なります。関東地方や中部地方では各屋敷は屋敷林・生け垣で囲まれ、屋敷地内には母屋のほかに作業用の建築ないし空間を設け井戸を掘り、さらに屋敷神をまつるなどしています。これに対し近畿地方では家屋の周囲に壁や生け垣はなく、家々は密集して建ち並び、個々の屋敷では作業用の広い空間や屋敷神は存在しないことがおおいです。こうしたムラの景観の違いは、その運営組織に地域差があるなどムラのあり方の違いを反映しているようで、現在から将来の私たちの暮らしや地域社会を考える際に、手がかりの一つとなると思われます。

寄島遺跡