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2006年08月31日
埋文展 中世のムラ
○調査課 永井宏幸です。
現在、愛知県陶磁資料館で開催中の展示から、「ムラとやきものの移り変わり」にあわせて作成しましたイラストを、6回シリーズで紹介します。今回は5回目です。

<<中世のムラ>>
土田遺跡(清須市)と阿弥陀寺遺跡(甚目寺町)の発掘調査成果を基に想定復原しました。
古代律令制では、「条里制」と呼ばれる土地制度が規定されました。これは、1町(約109m)の格子状地割を設定し、個々の区画を「*条*里*坪」と呼ぶ土地制度です。条里制に基づく土地区画-条里制地割は、奈良時代の班田収授法や平安時代の荘園制の土地開発などを通じて施工され、中世には条里制地割に規制された道路、耕地と屋敷地がひろくみられるようになりました。屋敷地は小規模な溝で区画され、屋敷地内には条里制地割と方角を揃えた掘立柱数棟(3~4棟)が建ち並び、個々の屋敷には井戸が設けられています。
中世前期には本イラストのように、屋敷地同士は密集せず、比較的ゆるやかに立地しています。
中世後期になると屋敷地同士が密集して設けられる集村化現象が進み、近世・近現代の伝統的なムラの形態が成立します。
2006年08月30日
埋文展 古代のムラ
○調査課 永井宏幸です。
現在、愛知県陶磁資料館で開催中の展示から、「ムラとやきものの移り変わり」にあわせて作成しましたイラストを、6回シリーズで紹介します。今回は4回目です。

<<古代のムラ>>
門間沼遺跡(一宮市)の発掘調査成果を基に想定復原しました。
6世紀末から7世紀初にかけて中国に統一王朝隋・唐が相次いで成立すると、これに影響を受けて近隣諸国では国家機構を整備して国家形成が図られました。日本各地では古墳時代以来の豪族の集団関係を超える強い国家権力によって、大規模な治水・灌漑工事を伴う土地開発が行われるようになりました。
縄文時代から古墳時代にかけて、日本列島では一般的に住居には竪穴住居が用いられてきましたが、古代(律令期)になると地面に長い柱を立て、高い壁を建てた掘立柱建物が用いられるようになります。ただしその普及には地域差があり、畿内をはじめ西日本では奈良時代までに竪穴住居から掘立柱建物へと移行しますが、愛知県では平安時代に、関東地方ではさらに遅れて普及するようです。また、古墳時代中期(5世紀)に朝鮮半島から須恵器生産技術などとともに竈が伝わり、住居や食事などの生活文化は大きな影響を受けました。
2006年08月28日
埋文展 古墳のムラ
○調査課 永井宏幸です。
現在、愛知県陶磁資料館で開催中の展示から、「ムラとやきものの移り変わり」にあわせて作成しましたイラストを、6回シリーズで紹介します。今回は3回目です。

<<古墳時代のムラ>>
廻間遺跡(清須市)の発掘調査成果を基に想定復原しました。
弥生時代には地域において拠点的な位置を占める大規模な集落があり、拠点集落の周囲には小規模な村が点在しており、それらは水系などを介して地域社会や広域社会を構成していました。古墳時代に入ると弥生時代以来の大規模集落は姿を消し、比較的均質な小さいムラが各地でみられるようになります。首長層は一般的なムラから離れ、「居館」と呼ばれる大きな屋敷に住まうようになったからです。
一般に古墳時代のムラは竪穴住居と掘立柱建物で構成されていますが、政治文化の中心的な地域であった近畿地方でも掘立柱建物の普及は古墳時代中期以降で、中部地方では主に竪穴住居が住居として用いられました。弥生時代には平面円形や楕円形の竪穴住居が主流でしたが、古墳時代になると平面が方形化していきます。2~3棟程度の住居が小さなまとまりをもって建ち並び、小住居群がいくつか集まって一つの小さなムラを形成しました。
2006年08月25日
埋文展 体験プログラム2
●調査課永井宏幸です。
8月13日〔日)、体験プログラム第2弾、「パレス土器の製作」を開催しました。


まず、粘土を細長い紐にします。紐を輪にしてどんどん積み重ねます。

形ができたら、ベンガラ(酸化第二鉄)を塗ります。

8月19日(土)土器焼きをしました。まずはあぶり焼き。

その後、中央に寄せて木っ端を間に詰めます。

今回は、覆い焼きに挑戦。わらを被せ、その上に泥土を塗ります。

点火。約1時間の焼成。

焼き上がり。ひどく割れることなく、ほっとしました。ちょっと黒くなりすぎたかな。

まずまずの出来に、参加者一同満足。暑い日にも関わらず見学に来ていただきありがとうございました。
-スタッフ一同-
2006年08月23日
埋文展 弥生のムラ
○調査課 永井宏幸です。
現在、愛知県陶磁資料館で開催中の展示から、「ムラとやきものの移り変わり」にあわせて作成しましたイラストを6回シリーズで紹介します。今回は2回目です。

<<弥生時代のムラ>>
平成15年度に行われた一色青海遺跡(稲沢市)の発掘調査成果を基に想定復原しました。
縄文時代のムラは主に台地上などに立地し、ムラの広場を囲んで竪穴住居が数棟建てられ、墓や貯蔵用の土坑も近接して設けられていました。弥生時代になると稲作農耕の開始や海退現象などに伴い、低地に新たな集落がつくられるようになります。集落には環濠で囲んだ「防御集落」(本展:朝日遺跡・阿弥陀寺遺跡)や、川辺に立地する「川辺集落」(本展:一色青海遺跡)などがありますが、いずれも居住域と墓域は区分され、高床式の倉庫と思われる掘立柱建物が建築されるようになりました。一般的な弥生集落は数棟から10棟程度の竪穴住居と数棟の倉庫で構成されますが、近年の発掘調査では直径50cm以上の柱で5m以上の梁間と15m以上の桁行をもつ巨大な掘立柱建物が検出される遺跡もあります。また、集落には弥生時代の全期間にわたって機能するもの、断続的なもの、一定時期のみに営まれたものがあり、水系などを介した地域社会において相互に結びつきをもって存在していたようです。
2006年08月21日
埋文展 縄文のムラ
○調査課永井宏幸です。
現在、愛知県陶磁資料館で開催中の展示から、「ムラとやきものの移り変わり」にあわせて作成しましたイラストを6回シリーズで紹介します。イラストは春夏秋冬を取り入れて考証しました。

<<縄文時代のムラ>>
平成8年から13年にかけて行われた権現山遺跡(岩倉市)の発掘調査成果を基に想定復原しました。
旧石器時代の愛知県では、駒場遺跡(豊川市)で石器が集中して出土する遺構がみられるほか、石器が散発的に出土する遺跡が分布する程度で、人びとの暮らしの痕跡は明らかではありませんでした。居住用の建物がまとまってみられるようになるのは、縄文時代に入ってからのことです。
縄文時代の成立期には温暖化によって海水面が上り、東海地方では前期前半には大垣付近まで伊勢湾が入り込んでいました。そのため、縄文時代のムラは当時の台地・丘陵部から山間部や海岸部につくられていました。縄文後期には海退が始まり、現在の尾張平野部にもムラがつくられるようになりました。
縄文時代のムラでは、主に地面を掘り込んでつくった竪穴住居が住居として用いられました。ムラの広場を囲んで住居が数棟建ち並び、墓や貯蔵用の土坑が近くに設けられていました。
2006年08月11日
西浦遺跡 調査速報
○調査課の鈴木です。
愛知県埋蔵文化財センターでは、平成18年7月から、豊橋市石巻町に所在する西浦遺跡の発掘調査を実施しています。この調査は、県道東三河環状線道路改良工事に伴うもので、今年度内に6000平米の面積を実施する予定です。
遺跡は豊橋市石巻町西浦にあり、石巻小学校の西に隣接しています。調査予定区域には現在も使用されている道路等があり、調査は7調査区に分けて行う予定です。
ここでは、この西浦遺跡の発掘調査成果をこまめにご紹介して行きたいと思います。


先週末(8月4日)までに、調査予定地の中で最も南側のAa区の1面目の調査がおおよそ終了しました。
Aa区の1面目では、江戸時代後期の溝群と時期不明の溝群などが確認されました。

江戸の溝は調査区に対して斜めに流れるものです。このうちの一つの溝には杭列が打ち込まれており、土留めされていたと推定されます。溝の具体的な用途はまだ分かりませんが、耕作用の水利施設の可能性が推測されます。

この他に、調査区南部では段差状の落ち込みが確認されました。この落ち込みを整地した上に柱穴がいくつか発見され、掘立柱建物跡が建てられていたと考えられます。柱穴は根石を持ち、戦国時代の土師器皿が伴うものも見つかっています。
今週はAa区の2面目の遺構を調査する予定です。
| コメント (0) | Category:発掘調査2006年08月09日
埋文展 体験プログラム1
○調査課永井宏幸です。
去る7月30日(日)に体験プログラム第1弾、「石器の使い心地」を開催しました。


朝日遺跡から出土した石器をもとに石斧の復元品を作りました。
扁平片刃石斧の使い心地はいかが?

石ノミを使って孔を開けています。なかなかの手つきですね。

両刃の磨製石斧を使って木を切断中。職人さんのようなこの方は?

実は、急きょ東京から駆けつけていただいた、首都大学の山田昌久先生。
山田先生は、木器研究の第一人者。わかりやすい説明に参加者はうなずくばかり。
山田先生、どうもありがとうございました。

もうひとつ、黒曜石を使って、しおりを作ってもらいました。
鹿の皮を切るのは大変でした。

色を塗って、モリゾーとキッコロが完成。こんな細かい細工......。
実は、仕上げにハサミをを使いました。
2006年08月04日
埋文展 記念講演会
○調査課永井宏幸です。
埋蔵文化財展がオープンして1ヶ月が過ぎました。
去る7月23日(日)に開催しました記念講演会・座談会の様子をご紹介します。


講演会は国立歴史民俗博物館教授広瀬和雄先生をお招きして、「弥生都市とモノ作り」についてお話していただきました。
会場には160名の方が広瀬先生の熱弁に耳を傾けていました。

広瀬先生は、都城制以前に「弥生時代に都市が存在した」と提唱した弥生都市論の第一人者です。
今回も、ご自身が発掘調査を担当された大阪府池上・曽根遺跡などを題材に、弥生都市と認定する条件を細かくご説明されました。
広瀬先生の「定説を疑う」姿勢が考古学の発展に欠かせない、といった発言は印象的でした。

広瀬先生の講演会のあと、埋蔵文化財センターの職員を交えて座談会を行いました。
「朝日遺跡は弥生都市か」などを議論しました。

寄島遺跡