2008年02月05日
寄島遺跡 調査速報 その1
調査課の岡久です。
愛知県埋蔵文化財センターでは、平成19年10月から安城市小川町に所在する寄島(よせじま)遺跡の発掘調査を実施しています。この調査は、鹿乗川改良事業に伴う事前調査の一環であり、今年度内に3465平方米の面積を、3調査区に分けて調査を実施しています。
今回はこの寄島遺跡の発掘調査速報の1回目として、先行して調査を行ったB区の紹介をさせていただきます。
B区は最上面は古代以降と考えられる面を1面目としましたが、後世の削平が激しく遺構はほとんど確認できませんでした。その後、15cmほどの包含層を掘り下げた面を2面目としましたが、ここからが本格的な調査となりました。この2面目は弥生時代末期から古墳時代前期を中心とした遺構群であり、縦横に走る溝や土坑、竪穴住居跡と考えられる方形の遺構が多数確認されました。

▲B区2面全体(北から)
3面目としては、中央東側に包含層が厚く堆積している区域があり、その部分が対象となりました。ここでは住居跡が重なり合って10棟ほど確認されるとともに、それらの住居跡に切られる北東―南西方向の溝が数条平行して検出されました。これらの住居跡は、その出土遺物から2面目で確認された住居跡にやや先行するかほぼ同時期のものであると考えられます。

▲B区3面中央東側竪穴住居群(上空から)
出土遺物は弥生時代末期から古墳時代前期の古式土師器が中心で、2・3面を通じてもあまり多くありません。

▲遺物出土状況
今回のB区の調査では、竪穴住居の中央部をテーブル状に残して周囲を1mほどの幅の溝状に一度掘り下げてから床面を張る幅の広い周溝を持つ住居が多く確認されました。このような住居跡がまとまって確認されたことはあまりなく、この遺跡の特徴の一つともいえるかもしれません。

▲幅広周溝の住居
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2007年07月17日
塔の越遺跡 調査速報
◎調査課の永井邦仁です。
稲沢市長野に所在する長野北浦遺跡と塔の越遺跡では、4月から約1年間の予定で発掘調査をすすめています。
このうち塔の越遺跡では古代の瓦塔が出土しました。
瓦塔は、奈良時代から平安時代にかけて須恵器窯で焼かれた多層塔です。屋根部分や基壇部分などのいくつかの部品に分けてつくられ、それらを重ねると約1.5〜2mの高さになります。

▲07A区出土瓦塔
今回出土した瓦塔は、屋根部分でも軒先近くの破片で、およそ10cm×5.5cmの大きさです。緩やかに全体が反っており、丸瓦列の表現が2列分あります。丸瓦列には丸瓦一枚分を表現する切り込みが入っています。東海地域でよくみられるタイプです。
裏側をみると丸瓦列に対応するように角張った棒状の凹凸がみえます。これは軒下の垂木を表現したもので、途中に段があるので二軒であることがわかります。色調は灰色で硬く焼き締まっています。

▲同瓦塔の裏面垂木表現
ところで塔の越遺跡では、18年前に稲沢市教育委員会が実施した発掘調査でも瓦塔が出土しています(全景写真の▲地点)。今回の出土地点(写真の●地点)とは約200m離れていますが、丸瓦列の表現方法をみると同一のものの可能性が高いと考えられます。今回の調査地点では奈良時代から平安時代初めの須恵器が出土する掘立柱建物跡がいくつも見つかっています。ほぼ同時期の瓦塔はこれら建物の性格を考える上で重要な資料であるといえます。

▲塔の越遺跡 07A区全景(東から)
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2007年06月27日
薬師ケ根遺跡 調査速報
◎調査課の永井邦仁です。
豊明市沓掛町にある薬師ケ根遺跡で、5 月から 6 月までの間発掘調査を実施しました。今回の調査区は、昨年度の調査区から県道 57 号をはさんだ南東側に位置します。近世以降の削平により、昨年度調査区のような建物跡や溝の遺構は確認できませんでしたが、奈良時代から室町時代の土器や陶器が多数出土しました。
今回の発掘調査で注目されたのは谷地形のやや低いところで確認された中世の井戸です。井戸は丸く掘った掘り方に木製の井戸側を据えたもので、そこからほぼ東方向へ幅約 70cm の溝がのびています。この溝は井戸から湧き出た余り水を排水する用途があったと考えられます。

▲中世の井戸と排水路
井戸掘り方の縁辺には直径 5 ~ 7cm の丸みのある石を敷き詰めるようにして貼り付けてあります。石は風化が進んで表面が白くなったチャートで、大きさと色のそろった貼り石によって清浄感が増したと思われます。

▲中世井戸の検出状況
据えられた井戸側は、四隅に最大径が20cm 近くもある柱を立て、それぞれの間に戸板などから転用したと思われる厚みのある板を 1 ~ 3 枚ずつ立ててあります。上部には横桟がありますが「ほぞ」を使った固定方法をとっていません。

▲井戸の断ち割り状況
井戸の深さは約 1m で、白色の粘土と砂礫層から湧水があったのでしょう。井戸掘り方からは山茶碗が出土しましたので中世につくられたとかんがえられます。
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2007年04月04日
西浦遺跡 発掘調査速報 8
●調査課の岡久です。
豊橋市石巻町に所在する西浦遺跡の発掘調査速報の8回目です。約半年にわたり調査をすすめてきた西浦遺跡も、3月初めにE区全体の空撮を行った後に補足調査を行い、ようやく調査終了となりました。今回は西浦遺跡調査速報の最終回。E区の調査の最終状況を報告いたします。
E区では、全域で竪穴住居跡が見つかり、その数は確認されただけで50棟を超えます。それらの住居跡は、時期としては弥生時代中期〜古墳時代初期、古墳時代後期に大別できます。竪穴住居跡には、煮炊きをしたカマドや炉の跡、柱穴や貯蔵穴となどを伴うのが一般的です。

▲E区 全体写真
E区の南部には方形周溝墓群が存在していることが判明しました。この調査区内には、南北方向の周溝を共有する形で4基の方形周溝墓が確認されました。

▲E区南部方形周溝墓群
これらの方形周溝墓の周溝内からは、弥生時代後期〜古墳時代初期の土器がまとまって出土しています。

▲E区周溝土器集中
調査の最終場面になってE区最南部からは弥生時代中期と考えられる土器棺墓が出土しました。この土器棺墓は、文様の鮮やかな胴部に穴を開けられた壷の本体がほぼ完全な形で残っており、別個体の壷の破片で口縁部と胴部の穴の2箇所を覆うように蓋をされていました。また、この土器棺は地山を掘り抜いた深い場所に丁寧に据えられていました。現在のところ内部からは遺体に関するものは見つかっていません。

▲E区最南部土器棺墓
総じてE区は大変濃厚な調査区でした。それ以前の調査区よりもはるかに古い時代から、ずっと利用され続けてきた土地であったといえます。今回発掘調査した西浦遺跡を全体として見てみると、長期間にわたる台地末端部から台地内部への土地利用の進展を窺えます。
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2007年03月16日
名古屋城三の丸遺跡 調査速報 5
●調査課の加藤です。
名古屋城三の丸遺跡では去る3月3日(土)に現地説明会を開催しましたところ、400名を超える方々にご来訪いただき、ありがとうございました。皆様の関心の高さに、関係者一同、感謝をしております。

▲現地説明会風景
さて皆様の関心が高かったのは、やはり那古野城期の薬研堀で、この薬研堀に関するご質問を多く頂戴しました。

▲薬研堀を見ていただいています
また、これまで調査の対象とされてこなかった防空壕も現地説明会でご覧いただいたところ、貴重なご意見などもたまわり、ありがとうございました。
当日紹介できなかった遺構・遺物を含めて、今後も名古屋城三の丸遺跡に関して研究を進めてまいりたいと考えています。

▲遺物にも多くの関心が集まりました
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2007年03月05日
西浦遺跡 発掘調査速報 7
●調査課の岡久です。
ご無沙汰しておりました。豊橋市石巻町に所在する西浦遺跡の発掘調査速報の7回目です。
現在西浦遺跡の発掘調査は、最北部台地末端域のE区を調査しています。この調査区は、範囲が広大であるとともに、弥生時代以降のおおむね全ての時代の遺構・遺物が確認され、それが幾重にも重なり合って存在している大変濃厚な調査区域となっています。今回は、E区のこれまでの調査の途中経過を報告させていただきます。
E区では古墳時代や古代(平安時代)の区画溝が縦横に走っています。この土地の利用頻度が非常に高かったことが伺えます。また、これらの溝のうち、古墳時代後期〜古代と考えられる大きな東西溝からは鉄鏃も出土しました。

▲E区 1面全体写真 南から
また、E区では多くの竪穴住居跡が重なりあって見つかっています。これらの竪穴住居跡は、カマドまたは炉といった煮炊きをした遺構を伴っているのが一般的です。なかには複数の炉をもつものも見られます。これらの竪穴住居跡は、弥生時代後期〜古墳時代前期のものと、古墳時代後期のものとに大きく区別できます。

▲複数の地床炉跡をもつ2750SB
弥生時代後期〜古墳時代前期の竪穴住居跡からは、土器の破片がまとまって出土しています。

▲2379SB弥生時代後期土器出土状況
古墳時代後期の竪穴住居跡の1棟からは、カマドの傍に鉢が2つ伏せられた状態で、北東角に甑・甕・支脚状土製品がやはり伏せられた状態で整然と並んで出土しました。これらは住居の廃棄に伴う祭祀との関係が考えられ、当時の生活の様子を知る貴重な資料となりました。

▲2745SB古墳時代後期甑・甕・支脚状土製品出土状況
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2007年03月01日
姫下遺跡 発掘調査速報 4
○調査課の永井邦仁です。
安城市姫小川町内に所在する姫下遺跡では、2月17日(土)に地元説明会を開催し、250名の皆さんに遺跡を見学していただきました。ありがとうございました。

▲地元説明会風景
説明の中でも述べましたが、10~12世紀代(平安時代中~後期)の竪穴住居跡と認定した遺構については、一般的によく知られている竪穴住居の構造とは異質で、明確な炉跡や竃跡がない点が問題点となっています。これらの遺構群が集落なのか墓域なのか、今後も研究を進めたいと考えています。

▲多くの方々に見学していただきました
また、当日ご覧いただけたかと思いますが、06C区の河川跡脇にある土器廃棄土坑は古墳時代初頭の頃(3世紀代)と考えられるもので、比較的整った形の壺や器台、そして尾張地域に多いS字状口縁台付甕が含まれるのが特徴です。

▲06C区土器廃棄土坑
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2007年02月22日
名古屋城三の丸遺跡 調査速報 4
●調査課の加藤です。
これまで調査速報などでお伝えしてきました、名古屋市中区に所在する名古屋城三の丸遺跡の現地説明会を3月3日(土)午前11時から行います。
当日は、那古野城(なごやじょう・近世の名古屋城に先行する戦国時代の城郭)時期の薬研掘の溝・近世の武家屋敷に伴う溝群、近代の防空壕および近世武士の生活を彩った遺物、旧陸軍第3師団関連の遺物を中心にご覧いただけます。
現地説明会の詳細は こちら から

▲薬研掘の溝・深さ2.4Mを測ります

▲廃棄土坑から出土した近世の亀や家の玩具など(当日,遺物コーナーでご覧になれます)
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2007年02月20日
名古屋城三の丸遺跡 調査速報 3
●調査課の加藤です。
名古屋城三の丸遺跡では近世および戦国期の調査を進めています。
近世の遺物が大量に出土し、当時の生活の一端が見えてきました。さてその中で興味深い遺構が、太平洋戦争時の防空壕に一部がこわされていますが、室(むろ)です。室は保管のためにつくられた地下室のことです。この室からは近世の武家屋敷廃絶時に捨てられたと思われる遺物が大量に出土しています。
▲近世の室
その中には近世武家屋敷での精神生活を垣間見せるような遺物が出土しています。写真はミニチュアの家です。茶室を模したもので、箱庭道具としてつかわれたと考えられます。

▲ミニチュアの家
その他の遺構などからも当時の武士の生活の一端をうかがえるものがあります。ゴミ捨て穴からは大黒天や三猿の「きかざる」も出土しています。

▲大黒天

▲きかざる
さらに興味深いのが男性・女性の玩具の一部。
男性像は束帯という正装をしているので天神などの神像と思われます。また女性像は島田髷(しまだまげ)と思われる髪型をしています。女雛(めびな)かもしれません。その他にも、土製の鳩笛・ニワトリの玩具も出土しています。

▲人の玩具
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姫下遺跡 発掘調査速報 3
○調査課の永井邦仁です。
安城市姫小川町内に所在する姫下遺跡では、2月17日に地元説明会を予定しています。流路から出土した土器と木製品の取り上げを進め、さらにこれらが堆積する以前の状態にまで掘り進めることができました

▲古墳時代の流路(北から)
流路には木製品や未加工の木が堆積した深い部分と土器が多数出土した浅い部分があります。浅い部分は長らく土器などを捨てる場所となっていたらしく、3〜4世紀代の土師器がかなり細かくなった状態で折り重なるようにして出土しました。その種類は、甕や壺や高杯などの日常生活で使ったとみられるものが中心です。

▲古墳時代の土器集積(南から)
木製品では、土掘り具である鋤がほぼ完全な状態で取り上げることができました。これは説明会で展示する予定です。また、流路の深い部分から浅い部分にかけて数本の杭が並んで立っているのもご覧いただけます。これはいったい何でしょうか?

▲ 流路内の杭列
姫下遺跡では平安時代後期の灰釉陶器が多く出土していることも特徴です。西三河地域では、古代の集落はこれまで奈良時代から平安時代前期のものがよく確認されていましたが、それに続く時期の集落の様子はあまりよくわかっていませんでした。掘り込みの浅い竪穴建物跡が多数確認できました。

▲ 平安時代後期の竪穴建物跡
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2007年02月06日
名古屋城三の丸遺跡 調査速報 2
●調査課の加藤です。
名古屋城三の丸遺跡では、去る1月25・26日に第1面の撮影を行いました。その時の写真を紹介します。

▲第1面全景
防空壕が5基確認できます。その代表的なものを紹介すると、調査面から約1.6mまで掘られていますが、固い熱田層を手作業で掘っており(スコップの跡が確認できるところもあります)、掘った人たち(学徒動員の中学生か?)の苦労がしのばれます。また、スロープには排土を運んだ一輪車の痕跡や階段を設けた痕跡も確認することができました。さらに土留めの杭の痕跡も確認されています。

▲340SX 線入り
さて、近世の遺構は、多くが近代遺構によって破壊されたものと考えられますが、まだ調査区の北東と北西で確認することができます。北西では礎石が残るピットが確認され建物があったと考えられます。さらに、当時のゴミ捨て穴も2基以上確認できました。中から瓦や茶碗などがたくさん出土しています。

▲387SK 遺物出土状態
その中にはこのようなものもありました。

▲387SK 遺物出土状態 近世遺物
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2007年01月24日
調査速報 姫下遺跡 2
○調査課の永井邦仁です。
安城市姫小川町内に所在する姫下遺跡では、いよいよ発掘調査の佳境に入ってきました。06C区と呼ぶ、姫下橋から南側の調査区では、昨年度発掘した流路の続きを掘削しています。流路の上層では、平安時代の灰釉陶器が多く出土し、調査区の東側に平安時代の集落があったことをうかがわせます。

▲流路の発掘作業
次に、その下にある堆積層を掘ると、古墳時代前期から中期の土師器が足の踏み場もないほどに散乱した状態で出土しました。出土した土師器は複数の時期にわたります。したがって一度に捨てられたのではなく、一定期間ここが土器捨て場になっていたことがわかります。

▲土器片を浮き出す作業
この土器の出土状態を記録するために、破片をひとつひとつ浮き上がらせる作業が連日続いています。神経をつかう細かい作業ですが、次に何があらわれるのか、ワクワクする作業でもあります。

▲竹べらを使います
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2007年01月19日
名古屋城三の丸遺跡 調査速報 1
●調査課の加藤です。
昨年11月より名古屋城三の丸遺跡の調査を開始しております。名古屋城三の丸遺跡はいろいろな場所で調査をされていますが、今回は裁判所の南側で三の丸土塁の間を調査しています。調査地点は、近世においては尾張藩上級武士の屋敷地として、近代においては旧陸軍第3師団の敷地として利用されてきました。

調査をすすめると、調査区に大きな防空壕が5つ確認できます。この防空壕はたいへん深く掘られた本格的なもので、また爆風を防ぐために横穴が何箇所も掘られた防空壕もあります。

また、旧陸軍を示す遺物として、旧陸軍の★の徽章の入った湯飲み・皿・茶碗や☆の中に「工三(工兵第三大隊)」の文字が入った茶碗、「砲三ノ二(野砲兵第三聯隊第二中隊の意味?)」の文字が入った湯飲み、歯ブラシ(「軍用歯刷子」と記されています)がみつかっています。

さらに、よくみつかるのが蹄鉄。終戦時における調査地点は「輜重兵第三聯隊」が近くにありました。輜重兵(しちょうへい)は軍馬などを利用して弾薬などを前線へ補給する部隊のことです。ですから、これらの蹄鉄は軍馬のひづめを守ったことでしょう。

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2006年12月18日
姫下遺跡 調査速報 1
○調査課の永井邦仁です。
安城市姫小川町内に所在する姫下遺跡では、昨年度の調査区に隣接する地点を発掘調査しています。調査期間は10月下旬から2月末までを予定しています。
姫下遺跡は鹿乗川流域の低地に展開する弥生時代中期以降の集落遺跡で、すぐ西側の台地上には全長約69mの前方後円墳である姫小川古墳があります。

▲06B調査区全景(南から)
3つある調査区のうち、真ん中の調査区(06B区)については、古墳時代前期(3〜4世紀頃)および平安時代(9〜12世紀頃)の集落が確認され、遺構掘削作業を進めています。いずれの集落も竪穴建物によって構成されています。ただ、削平によって遺構の上部のほとんどが失われており、遺物の出土が少ない状況にあります。

▲06B区からみた姫小川古墳
古墳時代の集落は、昨年度発掘された河川跡から出土した大量の土師器や木製品との関連が注目されます。また姫小川古墳がつくられる直前くらいの時期が中心とみられます。造墓やそこでの祭祀と集落の動向がどのように関わっていたのかが問題となってくるでしょう。河川跡からは平鋤や建築部材などが出土しています。

▲06C区流路跡出土の木製品
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2006年12月14日
西浦遺跡 調査速報 6
●調査課の岡久です。
豊橋市石巻町に所在する西浦遺跡の発掘調査速報の6回目です。
日に日に寒くなってきて、現場は初冬の景色となりつつあります。石巻山とそれに続く周囲の山々も紅葉を配して一層美しくなっています。さて、今回の調査速報では中央北側のC・D区の2面目を紹介させていただきます。
▲C・D区2面空撮真上から 下がC区、上がD区
C区では、古墳時代後期〜古代の竪穴住居跡20棟・楕円形土坑4基・溝3条、室町時代の溝1条、戦国時代の溝1条、D区では竪穴住居跡9棟などが確認されました。
▲石巻山を背景としたC区南部の竪穴住居群
C区の竪穴住居跡の一部にはカマドの痕跡が見られるものもありました。その中でも1箇所は比較的残りが良く、下端部の構造が復元できる状態でした。ここからはこのカマドで使用されていたと考えられる「支脚状土製品」も出土しています。
▲649SBカマド及び「支脚状土製品」出土状況
D区中央付近には地山を掘り込む深い竪穴住居跡が確認されました。遺構の掘り込まれている状況の違いなどから、この場所には時期と位置が少しずつ異なる複数の住居が建てられていたと考えられます。ここからは古墳時代後期を中心とした須恵器や土師器類がたくさん出土しました。
▲759SB・849SB完掘状況
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2006年12月06日
塚原1号窯跡・若宮1号墳 調査速報 1
○調査課の川添です。
現在、瀬戸市若宮一丁目で、塚原1号窯跡と若宮1号墳の調査を行っております。
塚原1号窯跡は鎌倉時代、古瀬戸前期の窯跡で、山茶碗も生産されております。確認された窯跡は1基のみですが、天井やダンパー部分が良好に残存しています。この調査では、窯跡のみならず、前庭部・整地部・灰原など、窯業生産の場全体が対象になっています。前庭部からは、古瀬戸では初例となる、戯画の線刻された四耳壷片が出土しています。また、若宮1号墳は6世紀末から7世紀初頭頃の後期古墳で、横穴室石室です。石積みの様子などが良好に観察できます。


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2006年11月20日
西浦遺跡 調査速報 5
●調査課の岡久です。
豊橋市石巻町に所在する西浦遺跡の発掘調査速報の5回目です。今回は、中央北側のC・D区の1面目を紹介させていただきます。
1面目ではC区・D区ともに江戸時代の遺構が確認されました。まずC区は、Ba区の1面目と同様に、溝で区画された屋敷地と考えられます。主な遺構としては、調査区を縦断する南北方向の大溝とそれに平行する西端の大溝、南部の2基の井戸、中央北側の掘立柱建物跡などがあります。また、西端の大溝からは石積みの護岸も見つかっています。
▲C区 全体 北から
D区は、近年の果樹園の耕作に関わる改変が著しく、調査区の約8割が撹乱という状況でした。そのため浅い小さな遺構のほとんどは壊れていたと考えられますが、それでも調査区を縦断する溝や、中央に地山を掘り込んだ大型の遺構が残っていました。
▲D区 全体 北から
この大型遺構は、西側から南側の掘り方がえぐられているという特徴をもっています。この遺構が何であるかということは手掛かりが少なく大変難しいのですが、石を据えていたと考えられる痕跡があることや、排水用と考えられる溝につながること、そして俯瞰したときの全体の形状などから、石巻山を借景とした庭園の池ではないかと想像しています。
▲D区 西から 石巻山を借景とした池状遺構
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2006年10月23日
西浦遺跡 調査速報 4
●調査課の岡久です。
豊橋市石巻町に所在する西浦遺跡の発掘調査速報の4回目です。今回は、Ba区の2面目とAb区を紹介させていただきます。
Ba区の2面目では、平安時代と考えられる竪穴住居跡が9棟確認されました。しかし、これらの竪穴住居跡は、いずれも柱穴や周溝などの内部施設は曖昧な状態で、火処遺構は発見されず、出土遺物も少量でした。

▲Ba区 竪穴住居
また、今回Ba区では、1面目の大溝にほぼ平行する溝や、新たな掘立柱建物を想定することができる柱穴なども確認されました。

▲Ba区 全体真上から
Ba区の道路をはさんだ南側に位置するAb区では、Ba区の溝とつながる可能性が考えられる溝が2条、調査区北東角に井戸が2基、そして井戸の隣の石敷状の水場施設などが明確な遺構として確認されましたが、あとの土坑の大半は樹木痕と考えられます。

▲Ab区 全体真上から
Ba区とAb区を全体として捉えて想像してみると、Ba区南側からAb区北側にかけては江戸時代後期〜明治時代の溝で区画された農家の屋敷地であり、Ba区南東部が掘立柱建物の母屋などが建つ建物域、Ab区側は井戸があり果樹などが植わるその庭先の区域と考えられます。また、この区域はそれ以前の時代でも人々の居住域であったとは考えられますが、後世の削平の影響が大きいため、あまり明確な形では遺構は残っていないようです
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2006年10月04日
西浦遺跡 調査速報 3
●調査課の岡久です。
愛知県埋蔵文化財センターでは、平成18年7月から豊橋市石巻町に所在する西浦遺跡の発掘調査を実施しています。この調査は、県道東三河環状線道路改良工事に伴うもので、今年度内に6000平米の面積を、7調査区(大きくは5調査区)に分けて調査を実施しています。
今回はこの西浦遺跡の発掘調査速報の3回目で、Ba区の1面目のご紹介をさせていただきます。
Ba区1面では、調査区を南北に縦断して北端で東に屈曲する大溝や、南北3間東西4間と想定される掘立柱建物の跡などが確認されました。

▲Ba区 全体(北から)
このうち大溝は、南半部に比べて北側の屈曲部が極端に深くなるという内部構造をもっています。出土品は江戸時代全般のものがみられますが、とくに深くなった北側の屈曲部では江戸時代後期の瓦や磁器などが多くなります。このことからこの大溝は、江戸時代後期の一時期に何らかの事情で北側だけが深くなったことがわかります。また、深くなる屈曲部の肩の一部は、溝に下りることができるように整形されていました。人々の生活に深く関わる溝であったことが想像されます。

▲Ba区 大溝(北から)
掘立柱建物については、その柱の跡(柱穴)と考えられる土坑の多くは形が不整形で深く掘られていて、根石も据えられていました。それらの土坑から江戸時代中頃の土鍋などが出土しいることや、周囲にある大溝などの他の遺構との関係などを考えると、この掘立柱建物は江戸時代のものであると考えられました。つまりBa区の1面では、江戸時代の村の一部、人々が居住した屋敷地を発掘したようです。

▲Ba区 掘立柱建物プラン(西から)
Ba区1面は比較的新しい時代の遺構を中心に掘ったわけですが、それでも古代の遺物(須恵器や灰釉陶器など)が散見されます。ということは当然付近に古代の遺構が存在している可能性が高いわけです。Ba区2面ではこれらの遺構を中心に掘削を進めるつもりです。また、同時進行でBa区と道をはさんだ南側のAb区の掘削も進めていきます。
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2006年09月29日
薬師ケ根遺跡 調査速報 2
●調査課の永井邦仁です。
豊明市沓掛町上高根地区にある薬師ケ根遺跡では、去る9月16日(土)に地元説明会を開催しました。当日は時折雨が降りましたが、沓掛町の皆さんを中心に約120名の参加をいただきました。ありがとうございました。なお、当日配布した資料を訂正したものが完成しました。

▲調査区遠景 北西から
ところで、説明会や先回の調査速報では、中世の遺構について、戦国時代(15世紀後半から16世紀)まで下る見解を示しましたが、その後出土した遺物を詳細に検討した結果、中世の遺物は室町時代前半(14世紀から15世紀前半)が中心となることが判明しました。ここで訂正しておきます。
したがって16世紀代となる沓掛城より古い時期の遺構が調査地点に広がっていたことになり、中世の沓掛地区の歴史をより遡らせて考える必要がでてきました。具体的には、比較的多くの中国製磁器(青磁や白磁の破片が計6点)があり、溝で区画されたムラが存在したことになります。一時的にですが鉄鍛治も行なっていたようです。それが沓掛城がつくられた時期に、この場所から移動していった可能性が考えられます。移動先が沓掛城の周辺なのかどうか、とても興味がもたれるところです。
なお、9月22日には調査区全景を写真撮影し、今後は井戸や平安時代の竪穴建物跡の調査を進めていく予定です。

▲調査区全景 北西から
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2006年09月11日
薬師ケ根遺跡 調査速報
○調査課の永井邦仁です。
豊明市沓掛町上高根地区にある、薬師ケ根遺跡では、8月初めから9月末までの予定で発掘調査が進行中です。場所は県道57号の明和交差点のすぐ西側です。周辺の遺跡としては西1.5kmに戦国時代の沓掛城跡、さらにその西1kmには鎌倉街道が通過していたとされる二村山があります。
遺跡は丘陵地の末端に位置しており、西から東へ下る緩い傾斜の基盤層を検出面として遺構の確認をおこなっています。確認された遺構は鎌倉時代から戦国時代にかけてのピットが中心ですが、やや大きめの土坑や井戸もあります。遺物は奈良時代となる8世紀後半の須恵器や土師器が最も古く、縄文土器や弥生土器および石器は出土していません。

▲調査区全景 北西から
奈良時代から平安時代の遺構には、東西方向にのびる幅約1mの溝があります。しかし須恵器はこの溝以外からも多数出土し、しかも融着したものが若干ですが混じっていることから、付近に須恵器窯があった可能性が考えられます。
戦国時代の遺構には、鉄滓が出土した竪穴状施設跡があります。何らかの作業場と考えられますが、小鍛冶との関連が想定できるかもしれません。他にも200基近くのピットがあり、深さが70cmにもなるものがいくつも確認されました。掘立柱建物の柱穴と判断されますので、現在、建物の平面形を検討しているところです。

▲竪穴状施設跡

▲底に手が届かないピット
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2006年09月05日
西浦遺跡 調査速報 2
○調査課の鈴木です。

愛知県埋蔵文化財センターでは、平成18年7月から、豊橋市石巻町に所在する西浦遺跡の発掘調査を実施しています。この遺跡は昭和40年に豊橋市内で教員をされていた木下克己さんが石巻山の南麓にある台地の縁端部で弥生時代や古墳時代の土器を発見して見つかった遺跡です。

今年度の発掘調査では7調査区(大きく5調査区)に分けて行う予定ですが、先週末(8月25日)までに、調査予定地の中で最も台地から離れたAa区の2面目の調査がおおよそ終了しました。

Aa区の2面目では、戦国時代から江戸時代前期の溝群と長方形土坑群などが確認されました。戦国時代から江戸時代前期の溝は、L字状に折れ曲がるものや十字に交わるものがあり、土地を方形にいくつか区画したものと考えられます。建物跡や生活に使用された道具等がほとんど見つかりませんでしたので、この場所は居住空間ではなかったようです。

加えて、Aa区の南部では地形が緩やかに下がって水が湧きやすい状態となっており、そこには長方形土坑が5基発見されました。これらはその大きさ等からお墓ではないかと推定しましたが、ご遺体や副葬品などは全く見当たらなかったので、はっきりしたことは分かりませんでした。
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2006年08月11日
西浦遺跡 調査速報
○調査課の鈴木です。
愛知県埋蔵文化財センターでは、平成18年7月から、豊橋市石巻町に所在する西浦遺跡の発掘調査を実施しています。この調査は、県道東三河環状線道路改良工事に伴うもので、今年度内に6000平米の面積を実施する予定です。
遺跡は豊橋市石巻町西浦にあり、石巻小学校の西に隣接しています。調査予定区域には現在も使用されている道路等があり、調査は7調査区に分けて行う予定です。
ここでは、この西浦遺跡の発掘調査成果をこまめにご紹介して行きたいと思います。


先週末(8月4日)までに、調査予定地の中で最も南側のAa区の1面目の調査がおおよそ終了しました。
Aa区の1面目では、江戸時代後期の溝群と時期不明の溝群などが確認されました。

江戸の溝は調査区に対して斜めに流れるものです。このうちの一つの溝には杭列が打ち込まれており、土留めされていたと推定されます。溝の具体的な用途はまだ分かりませんが、耕作用の水利施設の可能性が推測されます。

この他に、調査区南部では段差状の落ち込みが確認されました。この落ち込みを整地した上に柱穴がいくつか発見され、掘立柱建物跡が建てられていたと考えられます。柱穴は根石を持ち、戦国時代の土師器皿が伴うものも見つかっています。
今週はAa区の2面目の遺構を調査する予定です。
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2006年05月12日
遺跡Live_02
朝日遺跡の調査風景
写真工房遊(金子知久)提供

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2006年05月10日
遺跡Live_01
朝日遺跡の調査風景
写真工房遊(金子知久)提供

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2006年05月08日
弥生人のアクセサリー
○調査課の赤塚です。
愛知県清須市の朝日遺跡では、弥生時代の多様な装身具が発見されてます。
今回ご紹介する遺物は、とても可愛い小型のアクセサリーです。勾玉の仲間のようですが、全体が三角形状で、斬新なデザインです。
よく観察すると、側面には凹凸が確認でき、その先には小さな孔が両側から丁寧にあけられてます。まるで何かの顏のようにも見えます。翡翠(ひすい)製のおしゃれな逸品ですね。大きさは一辺が8mmほどで、厚さが1.5mm。見事な加工技術です。

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2006年05月02日
舌のデジタルトレース
○調査課の赤塚です。
愛知県清須市朝日遺跡で見つかりました石製舌。
よく見ると全体に丁寧に磨かれております。さらに舌状の形に整えるために、側面などを細くタタいた痕跡が見られます。また舌の上部にはヒモを結び止めるための凹みが作られています。
スキャナーで読み取り、そのままパソコン上でデジタルトレースをしてみました。
細かな観察はこれからです。

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2006年04月28日
石製舌
○調査課の赤塚です。
愛知県清須市朝日遺跡の発掘調査において、石製舌(ぜつ)が見つかりました。
弥生時代後期(山中I式期)の竪穴建物から出土しました。舌とは銅鐸の中につり下げて、揺り動かして音をだすのに用いられるものです。青銅製や石製のものなどがあります。朝日遺跡でははじめての発見ですが、類似するものとして一宮市の八王子遺跡や鳥取県の青谷上寺地遺跡出土品などがあります。
大きさは長さ96mm、幅は30mm。

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2006年04月25日
筒形容器の鹿文様
○調査課の赤塚です。

前のエントリーでご報告しました筒形容器(愛知県清須市朝日遺跡)。
表面に繊細な文様が見られました。特に鹿が横一列に配置された面白い文様帯が存在します。ただ、残念ながら一部が摩滅により不鮮明です。そこで、レーザーによる測図を実施し、画像処理などで可能な限り復原してみたいと思っています。写真はX・Y方向のレーザー走査間隔0.1mmピッチによるレリーフ画像です。
大きさは長さ156.1mm、幅66.6mm。
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2006年03月15日
後期南集落外環濠を確認!
○調査課の永井宏幸です。
現在朝日遺跡の発掘調査を進めています。弥生後期山中式の環濠を確認しました。写真中央の溝が環濠です。写真左側(西)に集落がひろがります。ちょうど写真上方にみえる道路の橋脚の辺りで溝が途切れるようです。集落の出入口が想定できます。

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2006年03月13日
筒形容器
○調査課の赤塚です。
現在調査中の愛知県清須市朝日遺跡の発掘調査において、弥生時代の不思議な土器が出土しました。筒形容器と呼んでいるものです。ほぼ完全な形で発見され、大きさは長さが16cm、幅6cmの筒状で、中は空洞になってます。口のところが斜めに切り落とされていて、底部は尖っています。注目したいのは表面に施された繊細で見事な装飾です。綾杉文(あやすぎもん)や鋸歯文(きょしもん)、そして「鹿」が列状になって描かれています。はたして何に使われたものなのでしょうか。


2006年03月09日
朝日遺跡の墳丘墓
○調査課の赤塚です。
現在調査中の愛知県清須市朝日遺跡の発掘調査において、大変残りの良い墳丘墓が確認されました。弥生時代中期の終わりごろのものと思われます。大きさは一辺10mほどですが、盛土を含めた高さが2mほどあります。場所は、朝日遺跡南集落に近接して営まれた南墓域、その南端にあたります。墳丘の上には、2個所に人を葬った場所が確認できます。

2006年02月16日
須ケ谷遺跡 西海塚遺跡 山王遺跡 調査速報2
○調査課の永井邦仁です。
須ケ谷遺跡のある稲沢市平和町は、尾張平野西部に位置するため、冬の間は北西の伊吹山から吹き下ろす風がとても強いところです。特に今年は、例年にない降雪にも見舞われながら弥生時代の周溝墓群を調査しています。先日その全景撮影が完了しました。

●壺出土状況
2006年01月17日
須ケ谷遺跡 西海塚遺跡 山王遺跡 調査速報
○調査課の永井邦仁です。
須ケ谷遺跡、西海塚遺跡、山王遺跡は、稲沢市(合併前は中島郡平和町)須ケ谷・三宅地区に所在します。愛知県下水道科学館から南へ一直線に伸びる道路の拡幅工事に先立って当センターが平成17年11月より発掘調査を実施しています。このうち西海塚、山王遺跡についてはほぼ調査が終了しました。
●発掘調査風景
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2005年11月25日
弥生の『玉』象眼

○調査課の赤塚です。
現在、愛知県清須市内で朝日遺跡の調査を実施中です。
朝日遺跡は県下を代表する弥生集落ですが、出土する遺物も半端ではありません。今回は、昨年度発掘調査しました遺物の洗浄作業中に発見された面白い資料をご紹介します。
土器の表面が赤く塗られたとても綺麗な壺。私たちはこの壺を「パレス壺」と呼称しています。その壺の口縁部(口の部分)になんと、ガラス小玉が埋め込まれていました。
小さなブルーのガラス玉を半分に割って(右側は欠損)、粘土が比較的柔らかいあいだに、土器の表面に押し付けているようです。このような事例ははじめてで、まさに最古の「玉」象眼かもしれません。土器のカタチから、西暦1世紀の終わり頃のものと思われます。
12月からはじまる、安城市歴史博物館の「畏きものたち」「埋蔵文化財新出土品展」で展示する予定です。
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2005年11月24日
朝日遺跡 調査速報
○調査課の川添です。
清須市・春日町・名古屋市に広がる朝日遺跡の調査を行っています。
朝日遺跡は、尾張地域屈指の弥生時代大集落として全国的にも知られている遺跡で、大きくはそれぞれ環濠に囲まれた北集落と南集落とに分けられます。
●発掘調査風景
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2005年11月07日
埋文展 図録作成中
調査課の池本です。
先回に続き、埋蔵文化展のご案内を致します。
現在、図録の編集中です。埋蔵文化財センターの3階にあるスタジオでは図録に掲載する写真の撮影が続けられています。
撮影台に載せられているのは、展示予定の狛犬です。狛犬は現在でも神社などでよく眼にする非常に身近な獣形の守護神です。どういう置き方で撮影すれば、狛犬のイメージがうまく伝わるか、カメラマンが思案しています。レンズを覗き、配置を換えて、またレンズを覗く……。1枚の写真に1時間以上かけた場面もありました。
図録は約100頁を予定しています。展示資料の写真だけでなく、以前に紹介したイメージキャラクターや展示パネルとして制作する祭祀のイメージ画なども掲載した、「絵本」としても楽しんでいただけるような内容を目指しています。

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木製品の樹種同定
調査課の鬼頭です。
木製品がどのような種類の木を用いて加工されているのか。木の種類は、その細胞の形や並び方などを顕微鏡で観察して決めます。「樹種同定」とよばれます。プレパラートにして観察しなければならないので、光が透けるくらいに木を薄く切りとらなければなりません。写真のようにカミソリを使って、息をとめて慎重に切り取ります。うまく切り取れるのか、はたまた指にケガをするのが先か、手先の器用さが要求される作業です。

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2005年11月04日
水槽から出した木製品
調査課の鬼頭です。
保存処理の完了した木製品を水槽から取りだしました。出土した木製品は、木材の中の水分を樹脂に置きかえる保存処理をおこなって、木材の形を維持します。ポリエチレングリコールという樹脂を使います。この樹脂はロウソクのロウが熱により溶けて液体になるように、60度を超えると溶けて木材の中に染みこみます。そのため、木製品が漬けられている水槽はつねに暖かく保たれています。樹脂を完全に染みこませるには長い時間が必要です。写真でみられる木製品は昨年の夏に漬けこみました。

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2005年10月21日
石膏ギブスでの取り上げ
○調査課の堀木です。
何の写真かおわかりになりますか?これは、石膏ギブスを使って取り上げた脆弱遺物のその後の状況です。脆弱遺物の取り上げは、入門講座ー保存処理編ーで紹介されています。取り上げてきた脆弱遺物から石膏ギブスをカッターナイフやはさみで切り取り、遺物を露出させた状況です。以前は脆弱遺物の取り上げに発砲ウレタン等を利用していましたが、ウレタンはゴミの量が多く重量もあり、取り上げ作業そのものが大掛かりなものとなってしまいました。その点、石膏ギブスはゴミの量も少なく手軽に利用できるので大変便利です。

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2005年09月26日
赤色顔料
●調査課の堀木です。
最近、蛍光X線分析装置を使って、赤色顔料を測定しています。当センターの装置は、定量分析(元素ごとの%を求める分析)が苦手なので、どんな元素が含まれているかを調べる定性分析を行います。
おもに弥生時代の遺物に付着する赤色顔料を測定していますが、水銀を原料とする水銀朱にはなかなか巡り会えません。大半のものが鉄を多く含むベンガラと思われます。水銀はなかなか入手できない特殊な元素なので、顔料中に含まれていると、自信たっぷりで水銀朱と判断できますが、ベンガラは難しいですね。鉄というのは、どこにでも存在する元素なので、土器や石器に付着する赤いものが、人為的な顔料なのか、地下水等のいたずらで付着したものなのか、判断に困ることがよくあります。現在のところ、顔料と自然のものかの識別は、その付着状況や物質の形状から判断していますが、ベンガラ特有の元素の組み合わせ等を解明できればと考えています。
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2005年09月22日
桜鐘古窯群 押印文
こんにちは、調査課の池本です。
現在、13世紀後半知多市桜鐘古窯群(さくらがねこようぐん)の整理作業と報告書執筆をしています。以前はここで桜鐘古窯群出土の鳥をモチーフとした押印文を紹介しました(2005.7.29)。その後整理作業も進み、遺跡全体の押印文が集計できたので紹介します。
今回の桜鐘古窯群の調査では7基の窯体を検出しました。出土遺物は整理箱に200箱と窯業遺跡にしては少ない量となっています。調査区が灰原に及んでいないことが主な理由です。それでも出土資料で確認できた押印文の総数は75種類もあります。このうち半分くらいが複数の窯体で確認できますので、窯体1基では12種類以上となります。
押印文はスタンプによるものです。スタンプ本体が生産作業下でどんな管理をされていたのかはよくわかっていませんが、スタンプの窯体間移動はそれらの有機的な関連性を示唆させます。また、前回も述べましたが、同じ押印文の土器を他の集落遺跡などから探し出すことができれば、流通状況の解明にも活用できるかもしれません。ただし、この作業とても大変です。資料は桜鐘古窯群だけで75種類もあるのですから。

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2005年09月20日
報告書のデジタル編集
●調査課の赤塚です。

当センターでは、発掘調査報告書の内容についても、ほぼ全てにわたってデジタル化を実施しております。原稿の執筆から写真画像の処理、遺物のトレース図面や遺構図なども例外なくデジタルデーターにしています。それぞれの内容は適宜手を加えられ、編集用のサーバーに保管されます。調査員はそれぞれの思いをこめて、データーを加工し、編集用ソフト上でのレイアウトにも大変こだわっています。楽しみな報告書ができつつありますので、期待してください。
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2005年09月15日
ガラス玉の化学組成
●調査課の堀木です。

15年度の夏に導入された蛍光X線分析装置。最近は、朝日遺跡出土のガラス玉の測定を行いました。弥生時代後期に属すると思われるガラス玉38点を測定しました。濃青色と水色の2種類の色がありましたが、化学組成に若干の違いがありました。また、昨年度測定を行った古墳時代後期のガラス玉とも化学組成が異なりました。近いうちに、整理・論文化して報告をします。
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2005年09月12日
人骨のクリーニング
●調査課 堀木です。

写真は御山寺遺跡(岩倉市)から出土した人骨です。保存状態が悪く、土を取り除くのが大変です。でも、一期一会。このような出会いをしたからには、ちゃんとクリーニングをし、形質人類学の貴重な資料としての取り扱いをしなくてはいけません。そうすることが何よりのことと、考えております。
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2005年09月09日
御山寺遺跡 03
●調査課 永井邦仁です。

御山寺遺跡(ごさんじいせき)05B区では、戦国時代につくられたとみられる東西方向の大溝や、古墳時代前期を中心とする竪穴建物跡多数が確認されました。名鉄犬山線から西側では基盤層となる礫層が地表面近くにまで及んでいます。大溝はこの礫層を掘り込んで造られ、そして大量の円礫で埋め戻されたことが明らかとなりました。
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2005年09月02日
鎌倉街道周辺遺跡 調査速報 002
調査課の鈴木です。
鎌倉街道周辺遺跡(かまくらかいどうしゅうへんいせき)は、稲沢市の東部にあり、青木川西岸に位置します。遺跡の中央部で現在の下津小学校付近に下津城跡があり、15世紀にはそこに尾張守護所があったと伝えられます。また遺跡の西方2〜3kmには古代の尾張国府跡があったとされています。今年の発掘調査は4月から始まっています。今回はその第2報をお届けします。
●遺跡全景
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2005年08月31日
くっつかない弥生土器
● 調査員の蔭山です。
同じ事務所の隣で整理している一色青海遺跡の弥生土器の接合作業を覗きました。写真は弥生土器の接合をしているナカサン(仮名)「くっつかな〜い。」と悲鳴を上げています。隣ではサクサクと土器の接合を進めている仲間がいますが、どうも上手くいかないようです。しかし、本当はくっつかない土器たちが大半で、大きく復元できるのはごく一部なのです。
我々は土器を接合する際にも土器の観察と分類が始まっています。土器を接合するために同じ文様や作り方をしているものや同じ色をしたものをまず集めてから、土器を接合し、組み立てて復元していくからです。そしてこの後実測したり、写真を撮る土器には石膏を入れて補強していくのです。

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2005年08月24日
弥生土器の色
●朝日遺跡の整理をしている調査員蔭山です。
最近土器の色にこだわりたいと思っています。そこで写真にて弥生土器の色(色調)を観察しているハマサン(仮名)「どの色にしようかな〜、迷ちゃう?」と、確かに土器の色はよく似ていて、全て同じかと思われています。しかし、朝日遺跡から出土する土器にはいろいろなかたちやデザインがあって、実は土器の色も変わるのです。よく見て下さい。赤や白、橙やピンク、黒色に灰色、茶色にそして・・・、千差万別です。それでも一定の発色をした土器たちのグループがありそうです。色を極めたいこの頃です。

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2005年08月12日
資料紹介:腕輪形土製品
調査課の早野です。
新しく誕生した清須市をはじめとする三市町にまたがる弥生時代の大集落、朝日遺跡。その朝日遺跡の最近の調査で腕輪形土製品が発見されました。発見地は西春日井郡春日町です。弥生時代中期後葉に築かれた方形周溝墓から出土しました。

朝日遺跡の腕輪形土製品は、オオツタノハ(南海に生息するカサガイの仲間)製貝輪をモデルに製作されたようで、赤みを帯びた貝の美しい放射肋を赤色顔料(ベンガラ)による彩色で見事に再現しています。内側の径を復原すると6cm内外となり、女性であれば何とか手を通せますが、厚さ数mmと薄いので、実際、腕にはめていたとは考えにくいでしょう。同じくオオツタノハ製貝輪をモデルとした非実用品として、古墳にしばしば副葬される車輪石が思い浮かびます。朝日遺跡の腕輪形土製品は、いわば「車輪石の先祖」とも呼ぶべき存在です。
よく似た土製品は岐阜県今宿遺跡でも発見されていますが、調査員泣かせのとても珍しい一品です。よく似たものをご存知の方、とにかくご一報を!

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2005年08月05日
石屑にロマン
調査課の蔭山です。
朝日遺跡の出土遺物を整理している調査員の蔭山です。写真は朝日遺跡99Aa区の竪穴住居(SB26)から出土した石屑(遺構の埋土をから洗い出したものです)を分類、カウントしているところです。これで何を調べているかというと、そこの竪穴住居で弥生人が何を作っていたかを探るためです。写真に見えているのは下呂石という石鏃(石の矢じり)を作った際にでたカス、石屑たちです。この竪穴住居では、他にも様々な石器を作っていたようで、他にもいろいろな石屑が出土しました(分析結果は後日に発表予定)。

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2005年08月02日
叩き甕の実測
調査課の蔭山です。
朝日遺跡の整理をしている調査員蔭山です。朝日遺跡出土の弥生土器を実測しています。弥生土器の作り方を復元できるような実測図を描いています。写真にて弥生土器を実測しているキタさん(仮名)「目と肩と腰にくるわ~」。確かに細かい土器作りの雑作が多々みられます。
写真にある弥生土器は弥生時代中期後葉(今から2000年程前)の煮炊き用の土器で、外面が煤けております。その中をよく見ると一度叩いて、刷毛目がみえ、その次にもう一度叩いて、下から刷毛目で形を整えています。そして仕上げにかめの口の部分と肩の部分に刷毛の工具による刻みを入れて仕上げています。このような作り方や形のデザインの観察を通じて、弥生時代の土器作りを考えていきたいと思います。

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2005年07月29日
桜鐘古窯 鳥の押印文
こんにちは、調査課の池本です。
現在、知多市桜鐘古窯群(さくらがねこようぐん)の整理作業と報告書執筆をしています。
桜鐘古窯群は13世紀後半のいわゆる中世常滑焼を生産した窯跡です。中世常滑焼といえば、壺・甕などの大型品の生産がよく知られていますが、ここでも同様に壺・甕・鉢などが目立ちます。このうち壺・甕類は、外面の肩部にスタンプが押されることが一般的で、押印文と呼ばれています。

桜鐘古窯群には鳥をモチーフとした個性的な押印文があります。写真がそれですが、鳥が羽を広げた姿を円形に図案化しています。家紋かもしれません。こうした図案はツルがなじみ深いのですが、この事例は頭部に鶏冠状の表現もあり、どうやらツルではないようです。
この資料は中世常滑焼の流通状況の解明にも活用できるかもしれません。同じ押印文を施した資料を各地の遺跡から探し出すことができれば、製品の製作場所とその消費地を特定できるはずです。鳥の押印文は非常に特徴的となりますから、この作業が比較的容易となるはずです。
ひょっとすると、これを読んでいる方ですでにご存知の方もいるかもしれません。教えていただけるとありがたいのですが。

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2005年07月27日
御山寺遺跡 調査速報 002
調査課 永井邦仁です。

御山寺遺跡(ごさんじいせき)は、岩倉市の中心にある岩倉城跡から北西約1.5kmに位置する、古墳時代から近代までの遺構・遺物が確認される遺跡です。
今年度の調査は6月より実施されています。
現在は、名鉄犬山線西側の05B区(画像手前)と東側の05C区(画像奥)で調査が進行中です。
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2005年07月21日
牛寺遺跡 調査速報 001
調査課 永井宏幸です。
牛寺遺跡は、矢作川の左岸に形成された河岸段丘上、標高約35mに位置する、中世を中心とした遺跡です。遺跡の周辺では発掘調査が2回行われています。まず昭和45年の調査では、古代瓦を中心に古代の遺物と遺構が確認され、「牛寺廃寺」と命名されています。次いで平成3年の調査では、中世の大溝と柱穴列を中心とした遺構と遺物が確認されました。
●遺跡遠景
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2005年07月01日
鎌倉街道周辺遺跡 調査速報 001
調査課の鈴木です。
鎌倉街道周辺遺跡(かまくらかいどうしゅうへんいせき)は、稲沢市の東部にあり、青木川西岸に位置します。遺跡の中央部で現在の下津小学校付近に下津城跡があり、15世紀にはそこに尾張守護所があったと伝えられます。また遺跡の西方2〜3kmには古代の尾張国府跡があったとされています。発掘調査は今年の4月から9月までの期間で進めています。
●遺跡全景
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2005年06月27日
瓶子窯跡出土の人名陶片
調査課 武部です。
瀬戸市・瓶子窯跡(へいじかまあと)の報告書執筆、整理作業をしています。ここは「茶入」を大量に焼成していたことで大変著名な窯で、17世紀に2基の窯が操業していたことがわかっています。今回の調査で、人名を書いた陶片が300点ほどみつかりました。大きさは4~5センチ程度、製品と一緒に窯で焼かれています。注文主を示す付札と思われます。そのうち「柳生兵助」と読めるものは、尾張藩の剣術指南役を務めた藩士、柳生厳包(としかね)(連也(れんや),1625~1694年)である可能性が高く、「(連也は)...牡丹をすき、茶入をすきて、瀬戸にて大分焼かせぬ。」と江戸時代の随筆にある記述を裏付ける資料となってきました。剣豪にして茶人、という人物に興味は尽きませんが、他にも尾張藩士と特定できる人名が数点あり、瓶子窯跡の非常に特殊な生産のありかたが浮かびあがってきました。

2005年06月21日
窯跡からのメッセージ
調査課の川添です。
最近、瀬戸市の中洞窯跡など中世の窯業遺跡に関わることが多いですが、灰原に棄てられた窯の製品の中に、「使われた」陶器片があるのに気づきました。よく見ますと、摩滅したり、剥離を起こしたりと、そのあり方はさまざまです。
このような陶器片には、山茶碗の碗・小皿・片口鉢や古瀬戸の皿類などの、胴部片・底部片が利用されています。手ごろなものをそのまま使用する場合もあれば、手に持ちやすいようにでしょうか、あらかじめ陶器片に加工を施してから使用しているものも見られます。
このような陶器片は、大府市森岡第1号窯跡群・常滑市四池A古窯跡でも報告されています。また、近日報告書が刊行予定の瀬戸市凧山C窯跡でも類例が見つかりました。さらに古代の窯跡として知られる、三好町黒笹40号窯跡でも同様の陶器が報告されています。類例は、時代を問わず各窯跡に広がるようですが、使われ方は各窯で異なるかもしれません。
灰原から出土する陶器片は「失敗品」ですが、そこに至るまでにいくつかの経緯がありそうです。これらの陶器片は、灰原出土遺物を「失敗品」として一括することへの警鐘となるだけではなく、各窯での窯業生産の工程を見直すきっかけになると考えられます。
詳しくは、各報告書をご覧下さい。

2005年06月16日
微化石をみる
調査課の鬼頭です.
現在,愛知県岩倉市にて「御山寺遺跡」を発掘調査中ですが,当時の水田があるかもしれないとのことで,土の中の顕微鏡サイズの化石をみました.水田の確認には「植物珪酸体」とよばれる植物のもつガラスをみつけます.今のところ,残念ながら水田と言えるものはみつかっていません.いっぽう,藻の仲間の化石が多く,ほぼ完全な形で多くみつかります.水生植物の生える流水環境であったことがわかります.現在の調査地周辺も水量は豊かです.
いつの頃からこのような環境となったのか,たいへん興味のあることがらです.
●御山寺遺跡 珪藻
2005年06月15日
御山寺遺跡 調査速報 001
調査課の永井(邦)です。
御山寺遺跡(ごさんじいせき)は、岩倉市の中心にある岩倉城跡から北西約1.5kmに位置する、古墳時代から近代までの遺構・遺物が確認される遺跡です。昨年度から発掘調査を実施し、今年度も名鉄犬山線の東西両側で10月までの期間で調査を進めています。
●遺跡全景
2005年06月14日
木製品水槽の清掃
調査課保存担当の鬼頭です.
木々の緑がさらに濃くなり,気温も一段と高くなりました.気温の上昇とともに生物活動も活発となります.出土した木製品を保管しておく水槽にも,いつの間にかふ化した昆虫類や藻の仲間が目立ちはじめました.
水槽の中で優雅にコロニーをつくっている生物には申し訳ないですが,6月8日に水槽の清掃をしました.水替えはもちろんのこと,汚れを落として不織布でくるみ直します.数人がかりで運ばなければならないものも多く,たいへんな作業です.
これらは保存処理をされた後,みなさんの目に触れるのを待っている木製品です.
●水槽掃除

寄島遺跡