<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<rss version="2.0">
<channel>
<title>調査速報</title>
<link>http://www.maibun.com/chousa/</link>
<description></description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2006</copyright>
<lastBuildDate>Wed, 15 Feb 2006 11:23:28 +0900</lastBuildDate>
<generator>http://www.movabletype.org/?v=3.17-ja</generator>
<docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs> 

<item>
<title>須ケ谷遺跡　西海塚遺跡　山王遺跡 2</title>
<description><![CDATA[<p>(すがたにいせき：稲沢市　北緯35度13分4秒，東経136度45分1秒）<br />
(にしかいづかいせき：稲沢市　北緯35度13分3秒，東経136度45分1秒）<br />
(さんのういせき：稲沢市　北緯35度13分2秒，東経136度45分0秒）</p>

<p><img alt="C5.gif" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C5.gif" width="250" align="right" />
調査課の永井邦仁です。<BR><BR>
 　須ケ谷遺跡のある稲沢市平和町は、尾張平野西部に位置するため、冬の間は北西の伊吹山から吹き下ろす風がとても強いところです。特に今年は、例年にない降雪にも見舞われながら弥生時代の周溝墓群を調査しています。先日その全景撮影が完了しました。<br>

</p>
<br clear="right">

<p><img alt="C5003.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C5003.jpg" width="250" align="right" /></p>●須ケ谷遺跡　B区周溝墓完掘
<p> 須ヶ谷遺跡B・C区では、現在の水田耕作土（約50cm）の下で、区画整理以前の地割を示すと考えられる溝がいくつか確認され、それとほぼ同じ高さで弥生時代中期の方形周溝墓も確認できました。</p>
<br clear="right">

<p><img alt="C5004.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C5004.jpg" width="250" align="right" /></p>●須ケ谷遺跡　C区方形周溝墓
<p>方形周溝墓とは、死者が埋葬された土坑の周囲に四角く溝を掘って区画したものです。区画は一辺5〜6mのものが一般的ですが、朝日遺跡のように一辺が20〜30m規模の巨大な周溝墓もあります。須ヶ谷遺跡では一般的なサイズの周溝墓が密集して造られたとみられます。ここは北から南へ緩く下る地形ですが、南側のB区では上部があまり削られていない状態で周溝墓を検出することができました。普段は溝の下方だけが確認されることの多い周溝墓ですが、今回はより原形に近い状態だったのです。また一部では、死者が埋葬された土坑（主体部といいます）も確認されました。</p>
<br clear="right">
<p><img alt="C5005.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C5005.jpg" width="250" align="right" /></p>●須ケ谷遺跡　C区壺出土

<p>周溝からは供え捧げられた壺が出土することもしばしばあります。<br>
<br>
　現在は、周溝墓群の下で確認された弥生時代の集落を調査中です。竪穴住居が多数検出されています。</p>
<br clear="right">]]></description>
<link>http://www.maibun.com/chousa/archives/2006/02/post_2.html</link>
<guid>http://www.maibun.com/chousa/archives/2006/02/post_2.html</guid>
<category>5</category>
<pubDate>Wed, 15 Feb 2006 11:23:28 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>須ケ谷遺跡　西海塚遺跡　山王遺跡</title>
<description><![CDATA[<p>(すがたにいせき：稲沢市　北緯35度13分4秒，東経136度45分1秒）<br />
(にしかいづかいせき：稲沢市　北緯35度13分3秒，東経136度45分1秒）<br />
(さんのういせき：稲沢市　北緯35度13分2秒，東経136度45分0秒）</p>

<p><img alt="C5.gif" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C5.gif" width="250" align="right" />
調査課の永井邦仁です。<BR><BR>
 　須ケ谷遺跡、西海塚遺跡、山王遺跡は、稲沢市（合併前は中島郡平和町）須ケ谷・三宅地区に所在します。愛知県下水道科学館から南へ一直線に伸びる道路の拡幅工事に先立って当センターが平成17年11月より発掘調査を実施しています。南北約500mにもおよぶ調査区なので、3つの遺跡が調査対象となったのです。北から須ケ谷、西海塚、山王遺跡の順になります。このうち西海塚、山王遺跡についてはほぼ調査が終了しました。
　遺跡の周辺は昭和40年代に大規模な区画整理が実施されています。西海塚遺跡では、現在の区画とは異なる水田区画やそれに伴う道や溝が確認されました。明治時代の地籍図との照合も必要ですが、おそらく江戸時代から続いた古い区画だと思われます。
　山王遺跡でも古い地割が見られますが、それとほぼ同じ方向に流れる川の跡が確認できました。最終的な川の幅は約55mあります。現在では遺跡の東方約600mを三宅川が直線的に南流しますが、それとのつながりも考えられます。また川の跡付近では、平安時代から鎌倉時代の須恵器や灰釉系陶器が出土する井戸が2基ありました。井戸の下方に据える曲物はとても残りの良いものです。
</p>
<br clear="right">

<p><img alt="C5001.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C5001.jpg" width="250" align="right" />●山王遺跡・西海塚遺跡全景</p>

<p><br clear="right"></p>

<p><img alt="C5002.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C5002.jpg" width="250" align="right" />●山王遺跡 井戸の調査風景</p>
<br clear="right">]]></description>
<link>http://www.maibun.com/chousa/archives/2006/01/post_1.html</link>
<guid>http://www.maibun.com/chousa/archives/2006/01/post_1.html</guid>
<category>5</category>
<pubDate>Tue, 17 Jan 2006 11:19:08 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>朝日遺跡 01</title>
<description><![CDATA[<p>(あさひいせき：清須市ほか　北緯35度13分18秒，東経136度51分18秒）</p>

<p><img alt="C41AS.gif" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C41AS.gif" width="250" align="right" />
調査課の川添です。<BR><BR>
 清須市・春日町・名古屋市に広がる朝日遺跡の調査を行っています。朝日遺跡は、尾張地域屈指の弥生時代大集落として全国的にも知られている遺跡で、大きくはそれぞれ環濠に囲まれた北集落と南集落とに分けられます。<br><br>
 現在、南集落の墓域と想定される区域の調査を行っています。弥生時代中期から古墳時代初頭にわたって作られた方形周溝墓や墳丘墓が次々に作られた様子が明らかになりつつあります。特にこの調査区で一辺15mほどと最も大きなものでは、分かっているだけで埋葬施設が７基見つかっており、大きさ・質とも存在感を示すものとなっています。<br><br>
今後、集落の居城域への調査も始まる予定です。これからの調査の進展が楽しみとなります。
</p>
<br clear="right">

<p><img alt="C41AS001.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C41AS001.jpg" width="250" height="214" align="right" />●05Dc区　調査風景</p>

<p><br clear="right"></p>

<p><img alt="C41AS002.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C41AS002.jpg" width="250" height="334" align="right" />●05Dc区　全景</p>
<br clear="right">]]></description>
<link>http://www.maibun.com/chousa/archives/2005/11/post.html</link>
<guid>http://www.maibun.com/chousa/archives/2005/11/post.html</guid>
<category>41AS</category>
<pubDate>Thu, 24 Nov 2005 09:13:50 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>御山寺遺跡　03</title>
<description><![CDATA[<p>(ごさんじいせき：岩倉市中野町・東町　北緯35度17分18秒，東経136度52分11秒）</p>

<p><img alt="C1RGJ.gif" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C1RGJ.gif" width="250" height="214" align="right" />御山寺遺跡は、岩倉市の中心にある岩倉城跡から北西約1.5kmに位置する、古墳時代から近代までの遺構・遺物が確認される遺跡です。昨年度から発掘調査を実施し、今年度も名鉄犬山線の東西両側で10月までの期間で調査を進めています。</p>
<br clear="right">

<p><img alt="C1RGJ007.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C1RGJ007.jpg" width="250" height="214" align="right" />●05B全景</p>
<p>　御山寺遺跡05B区では、戦国時代につくられたとみられる東西方向の大溝や、古墳時代前期を中心とする竪穴建物跡多数が確認されました。名鉄犬山線から西側では基盤層となる礫層が地表面近くにまで及んでいます。
</p>
<br clear="right">

<p><img alt="C1RGJ008.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C1RGJ008.jpg" width="250" height="214" align="right" />●大溝断面</p>
<p>大溝はこの礫層を掘り込んで造られ、そして大量の円礫で埋め戻されたことが明らかとなりました。いずれの作業も大変な労力を必要としたと考えられます。</p>

<p><br clear="right"><br />
<p><img alt="C1RGJ009.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C1RGJ009.jpg" width="250" height="214" align="right" />●遺物出土状況</p><br />
<p> 一方、古墳時代前期の竪穴建物は礫層の上に広がる砂層を掘り込んで造られました。建物跡は複雑に重なりあっており、その一番下の建物跡からは土師器の甕が出土しました。また瀬戸内海沿岸で多く出土するタイプの網につける土錘が1点出土したことも注目されます。</p></p>

<p><br clear="right"></p>]]></description>
<link>http://www.maibun.com/chousa/archives/2005/09/003.html</link>
<guid>http://www.maibun.com/chousa/archives/2005/09/003.html</guid>
<category>1RGJ</category>
<pubDate>Fri, 09 Sep 2005 09:25:11 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>鎌倉街道周辺遺跡　02</title>
<description><![CDATA[<p>(かまくらかいどうしゅうへんいせき：稲沢市下津新町　北緯35度15分21秒，東経136度49分34秒）</p>

<p><img alt="C2EKMgif" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C2EKM.gif" width="250" height="214" align="right" />　鎌倉街道周辺遺跡（かまくらかいどうしゅうへんいせき）は、稲沢市の東部にある遺跡で、今回の調査は下津新町で行っています。これまでの発掘調査の結果、古墳時代から江戸時代までの遺構や遺物が確認されています。現在は05A区の調査が進み、最終段階になってきています。</p>
<br clear="right">

<p><img alt="C2EKM005.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C2EKM005.jpg" width="250" height="214" align="right" />●05A区１面全景</p>
<p> この面では、江戸時代の岐阜街道脇の屋敷に関連する遺構や、室町時代の溝で囲まれた屋敷地などが確認されました。<br>
　江戸時代から近代にかけては井戸が3基、南北方向の溝が2本、性格が分からないだるま状の遺構が1基発見されました。井戸は全て一番下の部分で結桶（ゆいおけ）の井戸側が用いられていたことが分かりました。下津新町の岐阜街道沿いの集落が19世紀前半頃に営まれ始めたようです。<br>
　一方、室町時代では、溝はほぼ東西南北を向く方向に伸びるものと、斜めに走るものの両者があり、斜めに走る溝の方が新しいと考えられます。両方の溝とも、それぞれ同じ方向を向く掘立柱建物跡が確認されていることから、溝は屋敷を囲んでいたものと考えられます。
</p>
<br clear="right">

<p><img alt="C2EKM006.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C2EKM006.jpg" width="250" height="214" align="right" />●05B区 2面全景</p>
<p>　　この面では、鎌倉時代の溝で囲まれた屋敷地などが確認されました。<br>
　ほぼ東西方向に走る溝からは、12世紀代の山茶碗などが多数出土しました。調査区の南側では、焼土や炭化物と共に焼骨片が出土した土坑が１基あり、これは火葬施設の可能性が考えられます。
</p>

<p><br clear="right"><br />
<p><img alt="C2EKM007.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C2EKM007.jpg" width="250" height="214" align="right" />●05A区 堀立柱建物</p><br />
<p> 奈良時代では、竪穴住居跡と掘立柱建物跡などが確認されました。<br><br />
　掘立柱建物跡は２間×３間の総柱建物で倉庫と考えられます。この建物跡は重複する形で検出されており、少なくとも２回建て直されたものと思われます。一部の柱穴には柱に使用された材木（柱根）が残っていました。遺構の重なり具合やわずかに柱穴から出土した遺物からみて、８世紀のものと推測されます。<br><br />
　掘立柱建物跡の東側（Ｂ区）には、同時期の竪穴住居跡が広がっていることが分かっています。したがって、掘立柱建物跡はこの竪穴住居跡が広がる集落の倉庫として使用されていたことが考えられます。<br />
</p></p>

<p><br clear="right"><br />
<p><img alt="C2EKM008.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C2EKM008.jpg" width="250" height="214" align="right" />●05A区 3面の遺構　竪穴住居跡</p><br />
<p>　05A区では、掘立柱建物跡ばかりではなく、竪穴住居跡なども発見されています。<br><br />
　05A区で確認された竪穴住居跡は７世紀後半に位置づけられるものが多く、掘立柱建物跡よりも先行して建てられたようです。</p></p>]]></description>
<link>http://www.maibun.com/chousa/archives/2005/09/002.html</link>
<guid>http://www.maibun.com/chousa/archives/2005/09/002.html</guid>
<category>2EKM</category>
<pubDate>Fri, 02 Sep 2005 10:15:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>御山寺遺跡　02</title>
<description><![CDATA[<p>(ごさんじいせき：岩倉市中野町・東町　北緯35度17分18秒，東経136度52分11秒）</p>

<p><img alt="C1RGJ.gif" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C1RGJ.gif" width="250" height="214" align="right" />御山寺遺跡は、岩倉市の中心にある岩倉城跡から北西約1.5kmに位置する、古墳時代から近代までの遺構・遺物が確認される遺跡です。昨年度から発掘調査を実施し、今年度も名鉄犬山線の東西両側で10月までの期間で調査を進めています。</p>
<br clear="right">

<p><img alt="C1RGJ004.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C1RGJ004.jpg" width="250" height="214" align="right" />●遺跡全景(西から）</p>
<p>現在御山寺遺跡では、名鉄犬山線西側の05B区（画像手前）と東側の05C区（画像奥）で調査が進行中です。昨年度同様、若干カーブしながら東西方向へのびる大溝が確認されました。幅約5m、全長約200m以上の規模で、西端は前回紹介した南北方向の大溝に合流しています。</p>
<br clear="right">

<p><img alt="C1RGJ005.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C1RGJ005.jpg" width="250" height="214" align="right" />●05C区全景</p>
<p> 05C区では調査区の真ん中に大溝があり、それに合流する南北方向のやや小さな溝が複数確認されました。大溝の覆土からは古瀬戸後期段階の陶器が多数出土しており、岩倉城が機能していた16世紀前半に埋め戻された可能性が高いと考えられます。</p>

<p><br clear="right"><br />
<p><img alt="C1RGJ006.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C1RGJ006.jpg" width="250" height="214" align="right" />●堀立柱建物と井戸</p><br />
<p> また大溝がつくられる以前の遺構として竪穴住居跡や掘立柱建物跡、井戸跡が確認されました。竪穴住居は平安時代と確認され、掘立柱建物と井戸については現在調査中です。</p></p>

<p><br clear="right"><br />
</p>]]></description>
<link>http://www.maibun.com/chousa/archives/2005/07/02.html</link>
<guid>http://www.maibun.com/chousa/archives/2005/07/02.html</guid>
<category>1RGJ</category>
<pubDate>Wed, 27 Jul 2005 09:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>牛寺遺跡　01</title>
<description><![CDATA[<p>（ごでらいせき：豊田市御立町　北緯35度4分21秒，東経137度10分20秒）</p>

<p><img alt="C3PGD.gif" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C3PGD.gif" width="250" height="214" align="right" /></p>
<br clear="right">

<p><img alt="C3PGD001.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C3PGD001.jpg" width="250" height="214" align="right" />●遺跡遠景</p>
<p>牛寺遺跡は、矢作川の左岸に形成された河岸段丘上、標高約35mに位置する、中世を中心とした遺跡です。遺跡の周辺では発掘調査が２回行われています。まず昭和45年の調査では、古代瓦を中心に古代の遺物と遺構が確認され、<BR>「牛寺廃寺」と命名されています。次いで平成３年の調査では、中世の大溝と柱穴列を中心とした遺構と遺物が確認されました。</p>
<br clear="right">

<p><img alt="C3PGD002.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C3PGD002.jpg" width="250" height="214" align="right" />●調査区全景</p>
<p> 今回は、1,300平米を対象に調査を行いました。その結果、調査区の南側を中心に中世（12世紀後半）の遺構が見つかっています。ほとんどの遺構は南北方向を意識した溝や土坑で、計画的に構築されていたことがわかります。そのうち大溝は、過去２回の調査からも見つかっていて、これらをつなぐと数十ｍにおよぶ大きな方形区画が想定できます。従来から指摘されているように居館あるいはお堂のような施設があったと考えられます。</p>

<p><br clear="right"><br />
<p><img alt="C3PGD003.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C3PGD003.jpg" width="250" height="214" align="right" />●中世の土坑から出土した椀</p></p>

<p><br clear="right"></p>

<p><img alt="C3PGD004.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C3PGD004.jpg" width="250" height="214" align="right" />●縄文時代中期後半の土器敷炉</p>
<p>残念ながら、後世の削平により炉だけですが、本当は竪穴住居の真ん中にあったと考えられます。</p>

<p><br clear="right"></p>]]></description>
<link>http://www.maibun.com/chousa/archives/2005/07/01_2.html</link>
<guid>http://www.maibun.com/chousa/archives/2005/07/01_2.html</guid>
<category>3PGD</category>
<pubDate>Tue, 19 Jul 2005 13:56:39 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>鎌倉街道周辺遺跡　01</title>
<description><![CDATA[<p>(かまくらかいどうしゅうへんいせき：稲沢市下津新町　北緯35度15分21秒，東経136度49分34秒）</p>

<p><img alt="C2EKMgif" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C2EKM.gif" width="250" height="214" align="right" />　鎌倉街道周辺遺跡（かまくらかいどうしゅうへんいせき）は、稲沢市の東部にあり、青木川西岸に位置します。遺跡の中央部で現在の下津小学校付近に下津城跡があり、15世紀にはそこに尾張守護所があったと伝えられます。また遺跡の西方2〜3kmには古代の尾張国府跡があったとされています。発掘調査は今年の４月から９月までの期間で進めています。</p>
<br clear="right">

<p><img alt="C2EKM001.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C2EKM001.jpg" width="250" height="214" align="right" />●遺跡全景</p>
<p>鎌倉街道周辺遺跡は、稲沢市東部の赤池東山町から下津下町まで広がる遺跡です。今回の調査地点は下津城跡から南西約200mに位置し、これまでに奈良時代から江戸時代までの遺構・遺物が確認されています。
</p>
<br clear="right">

<p><img alt="C2EKM002.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C2EKM002.jpg" width="250" height="214" align="right" />●05B区 1面全景</p>
<p>　溝で囲まれた屋敷地と掘立柱建物２棟以上などが確認されました。溝は幅が1m前後のものや幅が4mに及ぶものまであり、井戸も発見されています。調査区が居館のあった場所（下津城跡推定地）からそれほど離れていないことから、中世「下津」の一角を担う集落であった可能性も考えられます。</p>

<p><br clear="right"><br />
<p><img alt="C2EKM003.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C2EKM003.jpg" width="250" height="214" align="right" />●05B区 ２面全景</p><br />
<p> 05B区２面：奈良時代から平安時代<br><br />
　現在の段階で7世紀後半くらいから遺物が確認されています。遺構は８世紀から９世紀にかけての竪穴住居が20棟以上見つかっており、９世紀以降の２間×３間の掘立柱建物が１棟発見されています。</p></p>

<p><br clear="right"><br />
<p><img alt="C2EKM004.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C2EKM004.jpg" width="250" height="214" align="right" />●05B区 堀立柱建物</p><br />
</p>]]></description>
<link>http://www.maibun.com/chousa/archives/2005/06/01_1.html</link>
<guid>http://www.maibun.com/chousa/archives/2005/06/01_1.html</guid>
<category>2EKM</category>
<pubDate>Thu, 30 Jun 2005 13:50:51 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>御山寺遺跡　01</title>
<description><![CDATA[<p>(ごさんじいせき：岩倉市中野町・東町　北緯35度17分18秒，東経136度52分11秒）</p>

<p><img alt="C1RGJ.gif" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C1RGJ.gif" width="250" height="214" align="right" />御山寺遺跡は、岩倉市の中心にある岩倉城跡から北西約1.5kmに位置する、古墳時代から近代までの遺構・遺物が確認される遺跡です。昨年度から発掘調査を実施し、今年度も名鉄犬山線の東西両側で10月までの期間で調査を進めています。</p>
<br clear="right">

<p><img alt="C1RGJ001.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C1RGJ001.jpg" width="250" height="214" align="right" />●遺跡全景</p>
<p> 05A区とした線路から西へ約200mの調査区では、戦国時代以降に掘られたとみられる幅約7.5m深さ約80cmの 大溝が確認されました。この調査区の西をかつては河川が南北方向に流れていたようで、それに向かって下り傾斜となるいわばムラの端のようなところだったと考えられます。</p>
<br clear="right">

<p><img alt="C1RGJ002.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C1RGJ002.jpg" width="250" height="214" align="right" />●05A区全景</p>
<p> 大溝は河川と同じ方向にのびており、今のところ灌漑や運河のような機能が想定されます。</p>

<p><br clear="right"><br />
<p><img alt="C1RGJ003.jpg" src="http://www.maibun.com/chousa/archives/images/C1RGJ003.jpg" width="250" height="214" align="right" />●05A区大溝</p></p>

<p><br clear="right"><br />
</p>]]></description>
<link>http://www.maibun.com/chousa/archives/2005/06/01.html</link>
<guid>http://www.maibun.com/chousa/archives/2005/06/01.html</guid>
<category>1RGJ</category>
<pubDate>Wed, 15 Jun 2005 11:16:30 +0900</pubDate>
</item>


</channel>
</rss>